【鳴弦の儀】平山季重は、一連の平家追討戦で度々武功をあげた武士で、後白河法皇がその功に報いて右衛門尉に任じたところ、頼朝が「顔ハフワフワトシテ稀有ノ任官哉」と主に無断の受任に激怒した(『吾妻鏡』元暦二年4月15日)が、その後の源実朝の誕生時には、鳴弦の役を仰せつかっている。
桃山展に行ってきた。福岡の侍展では見られなかった「銀伊予札白糸威胴丸具足」をやっと見られた。家康所用とされる一の谷兜は世紀末覇王っぽい。千姫が懸想した場面を描いたとされる「本多平八郎姿絵屏風」の平八郎少年の無造作ヘアが良かったので真似して美少年を描いてみたけど失敗…。
【本間孫四郎遠矢事】
元弘三年、宮方の本間重氏は、湊川に迫る足利の大船団に向け、魚を捕らえて飛ぶ鶚を射抜いて船の中へ落した。足利尊氏は使者を立て射手の名を問うと、本間は矢に名前を書き入れ、尊氏がいると思しき六町先の船へ射送り、兵の鎧の草摺に突き立てた(太平記巻16)。
#いい推しの日
今日は「てつしぼかわつつみがちりんもんもがみどうぐそく」という名前だけでもおぼえて帰っていってください。
#見た人も無言で剣を構えた何かをあげる
『太刀を逆さに突きて、細道の真中に、立ちずくみに死したりける。』(西源院本太平記第七巻)