【安濃津城の戦い】関が原合戦の折、富田信高が苦戦していると、一人の武者が現れ敵を蹴散らした。難を逃れた信高は、この武者が自分の妻だと知り、感激しつつ二人仲良く城に戻ったという。彼女は宇喜多忠家の娘と伝わるが、残念ながら名はわからない(常山紀談)。
【悪源太の狒々退治伝説】岩屋岩蔭遺跡のある、岐阜県下呂市金山地方には、悪源太義平が妖怪狒々を退治したという伝説が伝わっている。https://t.co/F9cwvxqzh8
昔描いた、龍造寺隆信の最期。肥前の熊のまんまのイメージが、時代を感じさせる。でもこのページ、個人的にはとても気に入っているのである。
【母里太兵衛】黒田長政が江戸で習った謠を披露したところ、重臣たちが追従するなか、忠臣で名高い母里太兵衛は「家臣が媚びへつらう家は滅びる」と泣いて諌めた。長政も反省して太兵衛に脇差を与えたという話が、『黒田家譜(巻十五・長政遺事)』に納められているので倣って描いた。
↑帝の不調に頼政が召されたのは、八幡太郎義家の先例に拠るとされるが、このとき源義家は、弓弦を三度鳴らし名乗りをあげただけで、堀河天皇にふりかかった怪異を退散させている。凄い。(平家物語・巻第四・鵺)
【いい風呂の日(11/26)】
源義朝「よくねーよ!」
※義朝は、逃亡中に立ち寄った家人の屋敷で風呂に入った時に襲撃され、帰らぬ人となった。