【隠岐(真弓)広有】建武元年、紫宸殿の上から「いつまで、いつまで」という声がする怪事件が起き、弓の達者の隠岐広有が選ばれ見事に退治した。落ちてきたのは、足の爪は剣のように鋭く、羽を広げると一丈六尺という怪鳥「以津真天」だった。この功により後醍醐天皇から「真弓」の姓を賜ったという。
弓道の日。私は経験ありませんが、弓の武者をネタにして、沢山描きましたので、いっちょ噛みしておきます。
押捩り(少弐景資)
小笠懸(北条時宗)
通し矢(星野勘左衛門)
鳴弦(八幡太郎)
【京都火消役】天明の大火の際、火消当番だった丹波亀山藩主・松平信道は二条城本丸こそ焼失したものの、二ノ丸御殿の消防に成功、次いで京都御所へ急行する。禁裏は下馬が原則だったが、信道は下馬札に羽織をかけて押し通り、帝の避難に尽力。これが評判になり、以後緊急時は下馬不要の先例となった。
#どこかの誰かに刺さればそれで良い
最近は、たくさんの人に刺さって欲しいと思っている、とても欲深い人間です。
【壇ノ浦の戦い】平教経は、京都一の強弓と称された、平家きっての猛将。壇ノ浦の戦いでは義経を襲うが果たせず、もはやこれまでと観念すると、兜と武器を海へ放つや、胴の草摺をもかなぐり捨て、安芸太郎・次郎兄弟を抱えて身を投げ果てた。
【一国長吉】黒田長政が筑前を拝領し、一国の太守となった時、初陣から愛用してきたという槍に「一国」の名を付けた。長政にとっては感慨の深い一品のようだが、他にも沢山、筑前黒田家には宝や名物があるのを忘れてはならない。
【金子十郎】『源平盛衰記』は、衣笠城を果敢に攻める金子十郎に感じ入った三浦大介が、酒を振る舞い激励し、十郎もそれに応えて、今度は腹巻を被って更に力闘する。その猛勇に大介も驚き、和田義盛に命じて射倒させたが、弟の余一が救出したので、金子兄弟がこの日のMVPだったと記す。
89歳で討死した三浦義明も、十七回忌に頼朝に「今の今まで私の中で生きている」と言われたから「三浦大介百六つ」と江戸時代には長寿のシンボルになって、ファンタジックな存在になってて面白い。
大島光義は、13歳の初陣以来、弓での功名は数知れない武辺者で、齢80になんなんとした頃、豊臣秀次の命で八坂の塔の窓へ、10本の矢を射込んだほど健在であったらしい(寛政重修諸家譜)。気力はなおも衰えることなく、97歳の長寿を保った。