【土佐の出来人】長宗我部元親は若い頃、色白で無口な性質だったので家中では不人気だった。初陣も23歳と当時としては遅く、その時になって槍の使い方を聞く始末であった。しかし、戦いが始まると真っ先に駆け、敵を二人突き倒したので、家来たちはたちまち心服したという逸話がある(長元物語など)。
【岸和田合戦】雑賀・根来等の一揆に備えて岸和田城に赴任した中村一氏は、彼ら一揆の来襲に苦戦したが、勇躍奮闘の末に撃退したという。
また一説に、城方が落城かと諦めかけたとき、夥しい数のタコの大軍が押し寄せ、一揆勢を退却させたという「蛸地蔵伝説」も残っている。
味方の多くが討たれる中、結城弥平次が奮闘していると、彼の兜に「JESUS」とあるのを認めた敵将の三木判太夫が、戦闘を止め、自らの虎皮の衣を弥平次に着せてさらに馬に乗せて健闘を称え、友誼を深めたという(フロイス『日本史』第一部七八章)。
自分が昔から描いている忠勝はこんな感じだけど、今回は男前にしました。添付の漫画、少し文章直してます。
【悪七兵衛景清】上総介忠清の七男・伊藤景清は、勇猛な平家の家人で、屋島の戦いでは源氏方の美尾屋十郎の兜のシコロを素手で引きちぎった「錣引き」で有名。「悪」は目上の親族を討った者にあてられることもあるが、概して「強い、勇猛」の意。