「炎の転校生」連載終了後の島本和彦先生は長い低迷が続き「燃えるV」が巻末の常連となり作者近況欄に「俺はまだやれる!やれるんだ!!」と悲鳴のようなコメントを記入され,今の言葉でラノベの挿絵描き迄務められ,やがて自分と向き合い自分自身を描くことに活路を見い出し「燃えよペン」が誕生したのだ。
昨日「ガンバの冒険」のノロイを「怪獣」と表現したところ「只のイタチだよ」という御意見があり,そうした方は恐らく「うしおととら」の白面の者を「只のキツネだよ」と仰るのでしょうね。「只のイタチ」や「只のキツネ」が何故トラウマ級に怖いのかを富士鷹ジュビロ先生の作劇手法から学びましょう。
イル・ポスティーノ
南米チリからイタリア・ナポリに浮かぶ小島に亡命した詩人パブロ・ネルーダと漁師で寡黙な父の後を継ぐことを嫌い,郵便配達員となった青年との静かな交流を描く本作。その生い立ち故なのか,ブチャラティが愛した作品として知られ,吹替では青年の父の中の人がマシュウなのも好印象。
公式が自分の名前を「クレージーゴン」に変えたことに怒り狂うクレイジーゴンさん。書籍や映像ソフトは一応クレイジーやクレイジィが使えるが対象年齢によってはヤバい。勝手に変えておいて,こちらの記憶違いにする気か。子供の頃,覚えた怪獣の名前を変えられると違和感が拭えない。ホント狂っとるよ。
横山光輝「マーズ」に見る秋田書店の超当たり障りのない編集術。
画像1:人間の姿をした者は狂う事は許されない。
画像2:有史以来狂気じみた人間など居ない。
画像3:人間の姿をした者は盲目となる事は許されない。
画像4:特例中の特例として時計だけは狂う事を許す。
有難く思うがよい。
気違いがイカれてるに置換される事を黙認すると
次に何が起こるのか?
画像1:横山光輝「マーズ」(単行本),画像2:同書の文庫本の同一箇所。
ドイツ軍のユダヤ人虐殺事件→ある時は
日本人の中国人虐殺事件→またある時は
ベトナム戦争のソンミ村虐殺事件→そしてまた…
歴史的事実の抹消が始まるんです。
中世歴史漫画の時代考証は現代日本語訳と思えば障りは無いでしょ。大意が伝わることが最優先。昔TVで股旅物やってて堂々とアスファルトの上を歩いてるなんてザラでしたから。鷹揚にいきましょうや。