しゃもじ要らないだろ…と一部の日本人からも言われる始末だが男塾的には特殊な応援は勝ちフラグなんだよな。
「フ…必勝しゃもじとはな」「あれを見せられて奮い立たない男などおるまいて」的なセリフが入って強烈なバフがかかって勝利
東アジア人をナメている外国人が日本にいる・来るのは好ましくないが、この先は日本人側にもそれを見据えた変化が求められていくんだろう。(日本人多数派の常識・協力を前提としない)性悪説的な仕組を作り、行政に頼るだけでなく自発的・積極的に自分の街や暮らしを守る姿勢。又はナメられたら〇す。
いい歳になってもセンター試験の点数を誇り続ける、大学卒業して何十年経っても出身大学を誇り続ける等々、それらが一生佩用してサマになる勲章だと思っているとか、学生時代以降何も他に誇れるものがないみたいのは見てて辛くなる。無理に勲章を付けると何もない状態よりダサくなるのはよくあること。
個人のレベルであればリスクを取る者が成功する一方で、迷ったり躊躇ったりしてす行動しない者が成功することがないのは明白で、個人の意志でやる・やらないを決められるのでいいと思うんですが、組織や社会がリスク回避的になると複雑ですね。
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中東という日本とは歴史や文化のかけ離れた地域でそれなりに長く生きてきて痛感するのは、ものの見方や価値観・信仰が異なる人達と共通の理解を醸成することの困難さ。属性に依らない普遍性や客観性がある論理なら相互理解と合意が可能という発想が常に成り立つとは限らない。
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「生き方に失敗した」的な後悔に対して、「社会の風潮はどうあれ最終的には自分の選択だから自己責任」等の批判をよく見るが酷だなと思う。誰しも大きな時代という河の中で流されながら生きている。何か遠くに目標を見据えて流れに逆らってでも泳いでいく意志力、知力、体力がある人は多くない。 https://t.co/yxwSgqhzlZ https://t.co/ZIZf5DDHtN
子供の頃から命の大切さを散々説かれ、生活は清潔で安全になり、自宅で看取られる人は稀で、死は日常生活から排除されて人生の終わりについて考える機会も減った。そんな中で平穏を捨てたり命をかけてまで人生で達成したい目標を見据えて生きる選択をするのは難しい気がする。
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「勝たなきゃダメ」「負けて泣き言を言っても誰も助けてくれないのが当たり前」というカイジの酷薄な世界観、今見ると自己責任論の平成時代らしい作品という感じがする。(そこで見せるからこそ人情が尚更光るのだろうけども)