そして維新。中央の本部が馳支持を打ち出す一方、地元は反発(抑々10月の衆議選では独自候補出してた)して山野支持に傾く…といった形で各党とも党内に分裂の傷としこりが強く残る状態となっている。まさに勝者なき戦争…!
秀衡さま、高みの見物&引き延ばしでまさかの利根川さんムーブ。しかしまあこれもキャスティングボートならではの愉悦というものですかな…
#鎌倉殿の十三人
また、敢えて耳に痛いことをいう者を傍に置くという意味では、「王の傍に仕える道化」は古典的ながらも有効なのかもしれません。個人的には漫画版ナウシカのヴ王&道化主従が理想ですね(これが言いたかった)
開戦前夜の「環境づくり」が活発化しつつあるように見える露宇情勢。露側のアナウンスの副音声がどうしても姐御のこの場面に重なってしまう…
他の単行本5~6巻部分のアニメージュはまだ一部しか入手出来ていませんが、その範囲ですらかなり加筆・修正が見られて実に興味深いです。これは何としても全部揃えて比較考察を行いたいところ。
敢えてそこに理屈?を付けると、この時代の機体はセラミック板のツギハギ(トルメキア)だたり木製(土鬼)だったりして強度に難があり、故にエンジン本来の出力をフル発揮できなかった-その中で風の谷のガンシップは弾力性に優れた王蟲の甲皮製のため比較的ムリをできた―と見るのはどうでしょうか?
この疑問は、3巻のクロトワの台詞で更に深まります。いわく、「サパタから東に丸一日飛べば友軍に出会える」。この時、地図上ではトルメキア軍は ナウリム川以東に押し返されてますが、それでもサパタからの距離はせいぜい300リーグ≒約540キロです。
漫画版 #ナウシカ ですが、改めてアニメージュ連載版を見返すと、本筋以外の細々した点もかなり修正されていて興味深いです。たとえばこちら、4巻カボ基地編の導入部ですが、連載版(左)と単行本版(右)ではクロトワ達の所在地が全く異なっています。
一方、ナウシカにとっての辛さは、母からの愛が「最初から自分には無い」という、いわば「虚無の哀しみ」でした。そして恐らくそれ故にナウシカは、自身の愛の抱える危うさ・欺瞞を自身の内なる虚無や、庭園の牧人から厳しく指弾されることになります。
即ち、クシャナの辛さは「喪われた愛」ー但し母のクシャナへの愛は変わらず、それがただ「自分」には向けられなくなったーの哀しみと呼べるものでした。そしてその「復讐」がクシャナの、最大の(かつ困ったことにはほぼ唯一の)原動力となります。
この追加された場面とちょうど対になると思われるのが、庭園でナウシカが語る「母との思い出」です。いわく、自分を決して愛さなかった母に、更に忘れ去られてしまうのが怖いために、母が気づくまでずっーと待っていたのだと。