「将、軍に在りては君命をも承けざるところあり」と古典にあります。クロトワもまた、カボで行ったように、時にそうした臨機応変を見せました。他にも例えば終盤7巻では、土鬼難民と武力衝突寸前に至ってなお無気力曖昧なクシャナを守るべく、クロトワは独自に作戦を立てます。
代休の締めにブルボンアベンジャーズを肴に晩酌を楽しむしろちち(ΦωΦ)フフフ…
これは、土鬼皇帝にとっては絶対に秘匿したい「真実」でした。ただでさえ向背恒ならぬ諸部族がそれを知れば、オンボロ神輿は放り出せ!とばかりに皇帝に反旗を翻し、墓所を祭り上げようとする(そして墓所も特にそれに反対しない)のが明白だからです。
『ナポレオン 覇道進撃』のワーテルロー会戦シーンを見てから改めて1-2巻のマレンゴ会戦シーンを見返すと、逃れられない宿命・業というか、「運の尽き」を見せつけられて大変趣深い。というわけで早く映画ナポレオン観に行きたいです…!
ですが、こうした信仰教義は実際には人々に「虚無をはびこらせ」、来世での救済≒厭世願望と現世絶望を深めるだけでした。ここにもまた、上人にまつわる「虚無」が存在します。
何より上人が語る「世界は浄化の過程にある」という教え自体が明らかに墓所ー或いは墓所の知識を元に土鬼王権が組み立てた信仰教義の中に位置づけられるものでした。
事実、シュワ及びト軍全滅後、ようやく墓所はその扉を開いてヴ王を招き入れ、新王にしようとするなど正にキングメーカー然としています。こんな姿があからさまになれば王の権威などあってなきが如しでしょう。
劇場版ナウシカでは、彼女は「腐海の真実」を伝えようとする―但しそれだけでは直近の問題解決にならないが―一方、漫画版ナウシカとアシタカは悩みながら戦場に身を投じ、自ら多くの人を救おうとする(と同時に己が手を血で染めつつ)中で、周囲の人々の信用を獲得していきます。
とはいえ、サパタでのナウシカの戦いには、まだ「独りで背負おう」とする姿勢がありました。単騎で抜け駆け、鏑弾で土鬼軍を混乱させつつクシャナの撤退を援護したのです。それは彼女なりに、なるべく「戦い」をしない、またクシャナへの借りを返そうとする姿勢でもありました。
以上、「火の7日間」以後の歴史再構成の試み、お楽しみいただけましたでしょうか。一言でまとめればナムリス様の下記の台詞になるのですが、ナムリス様も-当然我々も―そこまで過去を冷笑できるかと言いますと…言わぬが花ですね(勿論、ナムリス様は多分それを自覚した上でああなのですが)