そして・・・
ザボエラ「お、なんかちょうど年頃の娘が捕虜で来たのか・・・あ、なんかちょうどいい感じじゃのう。ヒュンケル殿、あの娘がお気に入りのようですな。一つワシがーーー」
「ドラえもん」って、総じて「人間は失敗するもんだ」という前提で、その上でそれでも歩む者たちに愛情を持って描いている物語と思うんですな。
のび太という「愚者」を主人公とすることで。
またこの回、のび太ええとこ見せるんですよ。
最初は「もう現代に戻ってこないかもね」とビッグマウス叩くものの、昔のハードさに戻ろうとするんですが、ドラにニヤニヤ笑われて、意固地になってまた昔に行くんですね。
ドラえもんの「未来のひみつ道具」によるチートも、それを見事に表現しているんです。
「戻るべき幻想の過去」などない。
「現代も問題は山積みだ」
「きっと未来もそうなのだろう」
でも、「少しでもましにする」営みを忘れてはならない。
そしてのび太はこの結論に達するんです。
「昔はよかった」と思っても、そんな理想郷みたいな牧歌的な世界はないんですよ。ただ、のび太もただ逃避行動で昔に行ったのではなく、それなりに現代を憂えたからなんですな。
だが昔は現代よりもずっとハードだった、
「食事は一日二食でひえとあわ」
「ガスも電気も水道もないから、井戸から水くみ」
「小さな子どもも働かなければならない」
「天候に左右され、人死にが出るのも日常茶飯事」
「病気になっても医者は十キロ先」
ちなみに「無限の住人」では、ヌンチャク使いの弩馬が、より間合いの長い三節棍使いの槇絵に、「そんな武器でよく今まで生きてこられましたね」と、煽り抜きで言われている。
そう考えると、鞍馬が時代を表するレベルの人気だったのも、そんな千年以上に渡る日本人の「狐」への思いの体現者だったからなのかもね。人と妖の間に立ち、陰と陽を持つ、誰よりも優しいが、誰よりも残酷な、どこか悲哀をまとった孤高の者。
だから鞍馬が薔薇の鞭持ってても、イヤミさがないんで、「普通にカッコいい」と受け入れられてしまったんですよ。逆に剣や槍や光線技が考えられなくなったくらいで。
そういう意味でも、十年に一人出るか出ないかの奇跡キャラなんですよ。
キャラクターが固定概念を覆した。
女性ファンが凄まじく多かったのは事実だが、男性ファンや少年ファンも多かったんですよ。桑原が男性ファンだけでなく、女性ファンもかなりを占めたのと同様に。
後半の「能力者編」や「魔界編」で半ば主人公になったのは、それだけ強かったんですよ、鞍馬の存在。
蔵馬さん、薔薇の鞭持ってても、滑るどことか「めちゃくちゃ似合う」キャラで、かつ蔵馬って超美形キャラながら、それをまったく鼻にかけず、むしろ容姿とかそういうのにこだわらず、母子家庭で母親を大切にし、幽助への恩義を重んじ、良識と常識と友愛の持ち主で、