出木杉のキャラとしての成長は凄まじく、のび太がしずかちゃんを道具で惚れさせようとして間違えて出木杉が惚れられた時も、「こんな形で心をもてあそびたくない」と拒絶。ジャイアンが鍾乳洞を傷つけたと知った時は、激しく怒り、あのジャイアンを凹ませるほどであった。 
   出木杉がただ勉強ができるだけでなく、読書家で物語を愛し、時に自分で台本を執筆し、のび太やジャイアンたちとミニチュアセットを作って自主制作の映画を作ったりと、彼にとって勉強は「自分の人生を楽しくするための手段」なのだ。 
   ここ最近、「出木杉とのび太の関係について」が話題になっていて、出木杉って、当初は「全てにおいてのび太の真逆の人物」として、存在するだけでのび太のコンプレックスを刺激する、まぁ極論すれば「小道具キャラ」だったんだよね。 
   昔は、「一年戦争時の連邦兵は皆貧弱で、数で補っていた」が定説だったが、昨今設定追加が進んだ結果、のちのZ時代のエースたちはすでに活躍していたとか、外伝キャラなどジオンのエースとも互角に渡り合えるものたちがけこう増えたので、そういう人が乗ってたのかねぇ。三号機。 
   のび太って怠け者のダメ人間で、「まともな人間なら思いつかないようなわがまま」をクチにするが、実はそれが「現状では存在しなかった新しい需要」だったのかもね。のび太の「道具使いの上手さ」って、この天才的な「こういう物が欲しい」という需要からの発想力が根源なのかもなぁ。 
   ドラえもんの秘密道具で「人間ブックカバー」ってのがあって、使うと本を読んだ人があらすじを話してくれるという道具で、「本を読みたいけど読むのめんどくさい」というのび太が使ったわけだが、昨今「名作解説動画」とかが人気で、なにげにこれも藤子先生の未来予測の正解例なのかもね。 
   アムロがZではガンダムに乗らなかったのは、純粋に「ガンダムの呪い」を畏れたってのもあると思うのね。否応なく、歴史に中心に引きずり込まれる魔力。そしてカミーユの精神崩壊を知り、「自分で終わりにしなきゃいけない」という諦観からの義務感で宇宙に戻ったのかもと。 
   「口裂け女」もかつては日本全土を恐怖に陥れたが、次第に「悲劇の妖怪」「人情味がある」などと変わっていき、私の中では「ぬーべー」の「親の罪業を背負わされてしなった悲劇の美女」というのが印象的ね。ただかつての影響が未だに強く、花子さんみたいに鬼太郎には出られない感じなので、せつない。 
   それをしないのなら、ただの「乗っかり」で、システマチックだとか、ライフハックとか言い訳しても、結局はただのジェネリック、もしくはエコノミー、もっと言えば・・・模造品だ。姿が透けて後ろのオリジナルが見えてしまう。 
   社会ってのは万事積み重ねで、何でも一から作ってたらできることはたかが知れている。だが、他人の「十」を土台として始めるのなら、自分もその上に「十」を築き、次のものの「一」にしなければならない。 
   まぁアレよ、要は「理知を持って『力』を行使する暴君」という、一番「厄介な敵」がリナ=インバーズなのではと思ったりする。 
   「スレイヤーズ」のリナといえば、ドラグスレイブもだが、ファイアーボールも連発している。派手ではあるが威力はそこまで超強力ではない。盗賊とかザコ敵が集団で襲ってきた時、速射的に放ち、相手の突撃力を奪っているのね。要はドリフターズにおけるノブの「銃の本質」と同じなのよ。