手塚ヒューマギア「私はよいこのマンガを・・・」
迅「違う違う、君の役目はそんなんじゃないだろ?」
手塚ヒューマギア「そうだ、私の使命はケモミミ美女を描くこと!」
迅「ごめん、それほんとに違う!?」
手塚ヒューマギア「けもフレとかあれくらい僕だって描けるんだよー!!」
迅「怖い!?」 
   ガルパンの第一話、「戦車道」っていう最大のワンダーを、「いいからそういうことなんだよ!」と叩きつけるために、ラストに学園艦叩打ち込んで、「まぁこんなものがあるのなら、そんなものがあってもしゃーないな」と、視聴者の「フィクション度」調整をしっかりやらせているのがすごいな。 
   第一話の「戦車道」で麻痺していたから気づかなかったが、「忍道」とか「仙道」とかがさらっと入ってんだよなこの世界。
#BSガルパン 
   まぁでもね、日本人は「英語が話せない」ことに負い目を感じるから、こういうとき「話せそうなお連れさん」の方に聞いて、少しでも「相手の意思を汲み取ろう」と頑張っちゃうところが、却ってこじれる原因なのかね。もう今後はこの勢いで行こう。 
   今週のキン肉マンーーー!! サラッと出てきたキーワード「オメガ宗家」w 宗家の生まれで双子の兄、少年期日陰ぐらし・・・カイオウみてーやなと思ったが、こじらせていたカイオウと違って厳しくも仲間への友情を持ち、弟への愛情もあってと、上位互換だな、アリステラ。 
   こう考えると、「ドラえもん」の連載の、初期と終期での、のび太の描かれ方の差は、「いつかの自分と同じダメ少年」から「婿殿に期待する義父」の目線に変わったからかもしれませんな。 
   というか、しずかちゃんのパパって、レギュラーメンバーの家族の中で、ほとんど出てこないんですね。そんなキャラにあえて語らせたのは、「三人の娘を持つ父親」である、藤子F先生の「父親」としての思いからだったのかもしれませんな。 
   「鉄人兵団」は、リルルとしずかちゃんの友情も大きかったが、のび太とリルルの関係も同様に大きく、リメイク版ではそちらはピッポが担う感じになったのが、ちょっと賛否分かれるところね。それがあったからこそ「天使」になったリルルはのび太の前に現れたのだから。 
   「のび太の結婚前夜」での、しずかちゃんのパパののび太評は、「それ褒め過ぎちゃう?」と思われることも多いが、「撃たなければならないとわかっていても、引き金を引けない」という、人類の存亡をかけた戦争中でありながらも、「人間」を捨てなかったのび太は、大したもんだと思うんだがな。 
   昨今、失敗が許されないご時世だから、「間違いのない」を求める気持ちもわからんでもないが、勝ち戦でしか笑えんような人間というのも、軽いものでね。勝敗正誤失敗成功以外に「自分が面白いか」で生きたいものだと、負け犬が遠吠えてしまうわけですわw