結果として「エスパー魔美」は、従来の藤子作品とはまた異なるテーマやドラマが描かれ、藤子作品の中でも屈指の人気作となった。そこはやはり、「凡人と天才」のバディの巧みさが活きたからではなかろうか。
まず地方のイメージがあまりにもベタすぎるということと、その手のことを売りにして人集めがんばっても、マザー牧場くらいやらねぇと来ねぇし、そのマザーでさえ順風満帆じゃねぇし、散々やることやって、ダメだったのよねぇ。
まぁロシアに関しては、「利害関係を築き、問題を起こさないようにしたほうが得だとわからせれば良い」という欧米の考え方自体が、実は傲慢だったのかもな。
両さんはそういう被害者側に立ってんですよ、彼らの代わりに「許さなくったっていい、許せないのが当たり前だ」って、言ってくれているわけです。
「世の中には許されないことがある」
「とりかえしのつかないことがある」
のです。
まぁ実際、舞台とかだと、四十代女性が「少女」を演じるとかけっこう普通なんで、そこはあんま気にならないんだ。けっこう幼めな顔立ちの方だし、あとあの、その、あと子役にあんなシーンやこんなシーンをやらせるわけにもいくまいし・・・
まぁぶっちゃけ、御家人って要はヤクザなんで、「舐めれて黙ってたら、下のやつに舐められて死ぬ」なので、「舐められたら死んでも殺す」「殺しに行って死んだほうがマシ」なので、元寇って結局は、事前にそういうのの調査を怠ったのが失敗やと思うのね。
そういえば「北斗の拳」には「天帝」というキーワードが出てきて、どうも「この世の一番えらい存在で、いなくなると世界がえらいことになる」ようで、ケンシロウを始めとした全ての武術家は天帝のために存在し、それどころかヒロインのリンは「天帝の娘」でもある。
このタイミングなら言える!! かつて搭乗していた自分の専用兵器が、美少女(CV井上麻里奈さん)になって現れる、「戦うパン屋と機械仕掛の看板娘」は現在七巻まで発売中。八巻近日発売予定ですのでー!
#ロボ集会で会いましょう
こういう話題になるとね、もう一つ思い出されるのは「こち亀」のこのシーン。
この両さんの態度が「冷たい」と話題に出ることも多いですが、これ同時に救いなんですよ。
「反省して更生した」なんて当人の事情を押し付けられた被害者たちの「それでも許せない」って気持ちに寄り添っているんです。
「先輩」である童磨に引っ張り込まれ、強くなり「奪い返した」ことで、「偉い人」である無惨に褒めてもらえたことが成功体験となり、さらに「ああ、やはりこの道は正しかったのだ」と認識を塗り重ねつつ、最後まで、あの世界から出る発想はなかった。
「強くて美しい者は冨を独占できる」世界の常識から、彼は最後まで脱せられなかった。鬼になってなお。
だから鬼になって強くなっても、「あの世界」の冨と地位を保ち続けることが、妓夫太郎にとっての「普通」だった。