てっきり俺TUEEE無双ものかと思ったら、「美味くはないぞ」が決め台詞の、異世界グルメものでもいけるな。異世界烈海王。
バーン様「ハドラーよ、どうなってるの・・・?」
ハドラー「はー・・・・」
バーン様「ダイの大冒険figma・・・主人公のダイ、もうひとりの主人公ポップに続いて・・・だよね?」
ハドラー「マァムかレオナと思ったんですがね」
バーン様「まさかのフレイザード」
今日も今日とて「K2」の話をするんだが、このシリアスな笑いを引き出すシーンの、TETSUと対しているのは、彼の(愛)弟子な、和久井 譲介なわけですが、彼は「カレーしか食べない」という設定がありましてね。
ガルパンの第一話、「戦車道」っていう最大のワンダーを、「いいからそういうことなんだよ!」と叩きつけるために、ラストに学園艦叩打ち込んで、「まぁこんなものがあるのなら、そんなものがあってもしゃーないな」と、視聴者の「フィクション度」調整をしっかりやらせているのがすごいな。
両さんはそういう被害者側に立ってんですよ、彼らの代わりに「許さなくったっていい、許せないのが当たり前だ」って、言ってくれているわけです。
「世の中には許されないことがある」
「とりかえしのつかないことがある」
のです。
まぁこの手の「原価」話はアレだな、「人間の材料なんて、市場に行けば子どもの小遣い銭で買えるんだから、お前の命もその程度なんだな?」という話なんだよね。
最近、一日二時間「じゃりン子チエ」を観ているのだが、あの作品は一見子供向けに見えるが、掲載誌が青年誌の「アクション」だったように、実は「大人の社会の複雑に見える事情は、子供の目から見たら滑稽なドタバタ激にしか見えない」という、アイロニーをからめた悲喜劇なのよな。
「ダイの大冒険」・・・なにげに「魔界編」の伏線らしきものが残ったままなんだよな。
「三本目のパプニカのナイフの行方」
「地下150階よりもなお底がある破邪の洞窟」
「”竜らしくない、人間みたい”と部下キルバーンに言われた、大魔王バーンにならぶ魔界の王、冥王ヴェルザー」
こういう話題になるとね、もう一つ思い出されるのは「こち亀」のこのシーン。
この両さんの態度が「冷たい」と話題に出ることも多いですが、これ同時に救いなんですよ。
「反省して更生した」なんて当人の事情を押し付けられた被害者たちの「それでも許せない」って気持ちに寄り添っているんです。