オカルト実践(越法/越三昧耶)とかスピリチュアルとかが、伝統的な宗教(やそれが好きな人達)から『自由に好き勝ってやっている』と批判されるのは仕方がないとしても、
だからといって、
ちょっと話題にあがったくらいで、『とりあえず叩いとくか』と殴りにきてマウントとろうとするのもどうかと。
で、何がいいたいかと言うと、超能力との境界が曖昧だった頃の霊能力は、超能力と同様に『イメージ』でコントロールできるとされていた気がすると。
たとえば1980年代の『物の怪らんちき戦争/夢来鳥ねむ著』は、呪術が存在する世界で自分のもつ力をイメージでコントロールしてる。⇒
とあり浄化やリセットの意味合いがあると。
『しゅだ』の音訳は『戍駄』も『秫駄』も間違いではないので
『唵 戍駄戍駄』でも
『唵 秫駄秫駄』でも間違いではないと(私の考察もぎりセーフ)。
すべての真言陀羅尼を覚えるのは無理とはいえ、スピを叩きたいが為によく調べずに批判するのも問題が(ry
とみるなら、『オン・シュダ・シュダ』は浄獅子にして、善にして畏れを無くす善無畏に助けをこう呼び掛けである、と見ることもできる。
と、考察した上で『こんな真言は経典にないから“宗教的には”意味はない』と否定するというやり方もあるのでは、と思ったり思わなかったり
野上武志先生の漫画『はるかリセット』の今週のはなしは、心霊やオカルトを肯定的にみてる人にはおすすめかもとおもったり。 https://t.co/Pw9KTLSusq
この言葉自体は紀元前の希臘(ギリシャ)の哲学者・赫拉克利特(ヘラクレイトス)の言葉だそうで。
『万物は流転する』
『万物は一である』
『一から万物が生まれる』
という赫拉克利利特の思想を、克麗奧佩脫拉は『自分の尾を噛む蛇』で表現したと。
『鋼の錬金術師/荒川弘著』で有名になった『一にして全、全にして一』という言葉。
これは賢者の石の作り方を知っていたとされる、三世紀の希臘(ギリシャ)の女性錬金術師・克麗奧佩脫拉(クレオパトラ)の残した烏洛波羅斯(ウロボロス)の絵に書かれているそうです。⇒
仏説安宅神咒経に、釈尊は諸々の龍に命じて道場の四方七里を金剛堅固の地面にした(七里結界金剛宅)とあります。
修験系ではこの経典を元に、四方に中央を加えた五方に五帝大神龍王がいるとし、それを五大明王の垂迹として結界を張ります。
柴(採)燈護摩では宝弓加持で、その他では外五鈷印を結びます⇒