好ましくないと思うのですよ。
正しさ云々を善意で押し付けてくるなら、逃げれる人は逃げるし、解体できる集まりは解体されるハメになるけど。
みんなしらけて
『あなた、コミュニケーション・ツールを本気で信じてるの?』
と言わざるをえない状況になるのは、よろしくないなぁと思ったり。
小説の『百億の昼と千億の夜/光瀬龍著』は読んでないけど、萩尾望都先生のコミカライズ版はもっていて。
このページが頭に焼き付いてるので、オカルト方面での暴走が押さえられている気がするのですよ。
唯信鈔文意略述に曰く、
『ある経には、観音を寳應聲菩薩と名付けて、日天子と示す。是はよろずの衆生の无明黒闇をあらわしむ。
勢至を寳吉祥菩薩と名付けて、月天子と顯れ、生死の長夜を照らして、智慧を光らしむ也』云々 https://t.co/ruAH0hnKHX
外で(出張で)略式の護摩系の祈祷をするとか、拝むのに火の浄化力を使いたいとかいうとき、
護摩の壇木を束ねて上下を針金で縛り、つけぎ(ヤニの多い松)を差し込んだモノをつくると楽、というのが拝み屋さんにあったり。
・・・キャンプ界隈ではスウェーデン・トーチとか木蝋燭と言うみたいですね。
初期のオカルト系漫画、
『カルラ舞う/永久保貴一著』や
『孔雀王/荻野真著』は、
退魔や除霊においては『気』をもちいているけど、
宗教的な儀式においてはキチンと祭壇を描いていると。
この三部諸尊は、胎蔵界曼荼羅に描かれていて、
仏部が釈迦院、
蓮華部が蓮華部院、
金剛部が金剛部院にあたります。
ただ、この話は鎌倉中期の説話集『私聚百因縁集』にある、『須弥山に迦楼羅天尊の巣があるので、阿修羅尊は山を動かして巣の子を振り落とし、それを食す』という話がもとになっていて、
経典には阿修羅尊が迦楼羅天尊を食べるという話はないようです。
そして今日は、今年初の辰日でしたので、龍王尊と龍神様を御供養しました。
御店に梨果が売られていたので、購入して御供えしました。たぶん今季はこれが最後で、次は秋までは手に入らないと思いますね。
広義のオカルトをコミュニケーション・ツールとして楽しんでいる人達の所に、狭義オカルトの人が来てマウントとりたがるの、つまりはこんな感じ⬇️で尊敬を集めたいんだなぁと、思ったり。
『ウチのダンナはサラリーマン山伏 /はじめ著』は、
宗教者の配偶者さんが、宗教とその修行を面白おかしく紹介し、
馬鹿にしている、信仰をおちょくってる、師匠や兄弟弟子に顔向けできないからやめて欲しいといわれ、
その修行や生活は誰のおかげでできているんだ!
と逆ギレする業の深い漫画。