『パワースポット』と言う言葉を毛嫌いする人にとっての『パワー』って何なんだろうとおもったり。
もしかしてゲッター線みたいな、浴びた人間が進化したり、霊的に向上するエネルギーの存在をスピリチュアルが信じているとか勝手に考えて、独りで『そんなのは存在しない!』と批判してるのでは?
マンガクロスで公開されている『はるかリセット/野上武志著』、いま岩手編で遠野博物館が紹介されていて、
登場人物が
『厳しい自然のなかでは、人は祈りで自然と折り合いをつけ、
人間同士の折り合いをつけるために“呪術(まじない)”を発展させた。』
と言っていて、
そうですよね!
とか頷いてる。 https://t.co/CXMJAcb8hI
そう言う意味では、牛丼チェーン店が土用の丑日にあわせてウナギ丼を販売するけど、それよりも牛丼屋では牛丼を食べるのが本来の意味に近い、という見方もあると。
拝み屋さんの話なので話半分で。
『祠を壊す』というと、
たがみよしひさ先生の漫画『滅日/HOROBI』は、車が由来不明の祠に突っ込んで破壊するところから始まる(運転していた人は車が炎上して亡くなるけど)。
伝奇モノでKindleでよめるけど、30年前の漫画だけどいま読んでも面白い。
現実世界でナニモノにもなれない人が宗教やオカルトや陰謀論にハマって、自分は世界の本当の姿を知っているんだ!といきがって痛い言動をする、
とか言わないで。 https://t.co/5o9JGdavDs
この言葉自体は紀元前の希臘(ギリシャ)の哲学者・赫拉克利特(ヘラクレイトス)の言葉だそうで。
『万物は流転する』
『万物は一である』
『一から万物が生まれる』
という赫拉克利利特の思想を、克麗奧佩脫拉は『自分の尾を噛む蛇』で表現したと。
宗教者に対して、こういう勘違いをしている人は、それなりにいるのではないかと思ったり。 https://t.co/5ycjrTPmpx
>RT
民間には青面金剛尊と三宝荒神尊を対で祀るとよいという伝があって、どちらも三尸封じのご利益があると。
別の伝では、
不動明王尊を青面金剛として、
愛染明王尊を三宝荒神として対で祀ると、
厄が祓われるとも言います。
まぁ、拝み屋さんの話なので、話半分で。