蛭子さんに「芸術家は怒った」という画家が展覧会をひらくと人間ではなく動物達が来てウットリという名作があるのだが今回の展示作品って殆ど漫画の中に展示されている絵みたいではないか。
創作の現実化はよくあることだが犬猫猿豚河馬さんが来場したら歓迎しなければ。
アベシンといえば晋三ではなく安倍慎一(代表作「美代子阿佐ヶ谷気分」)さんである。今日10数年ぶりに安倍さんと電話で話した。調子は良さそう。「マンガには夢があるから」というすっかり忘れていた気持ちがあの)僕はサラ金の欲しいです」の一齣と共に蘇った。
今日、村崎百郎が亡くなって10年である。私はその日青林工藝舎の資料室の机を借り「生きる2010」の描き下ろし短編百頁の仕上げに取り掛かっていた。佐吉が芸術家となる最後の短編あと1頁だ!と気分が最高潮に達した時にその報せが入り呆然とした。…結局仕事どころではなく帰宅し完成は翌日に延びた
ところで、花輪和一さんの『刑務所の中』のポルトガル語版が出たようです。村田や佐吉が密かにゲスト出演?するあのシーンもポルトガル語になってます。
佐吉みたいな困った人は世界共通ですね。
蛭子能収「最後の展覧会」展。終了から一週間経つと、世間からの関心がこうスーッと見事に引いて行くのを感じるのは私だけ?
あの熱狂は「幻」にすら思えます…
最近萌え過ぎた猫娘やあのアニメ版鬼太郎の絵をよく目にするが昭和40年代鬼太郎はじめ水木しげるは絵が苦手と拒絶しクラスで3~4人の男子しか受け付けなかった。自分の友人となれる基準は水木さんの絵が可か不可かにあったから友人は限られた。
20才前描いた4駒が。どんな人間にも必ず終わりはあると男女地位名誉不名誉に拘らず終わりは来ると♪その日のために鍛えておこう君の体の全てを腹筋海綿括約筋の意味がこの歳になり朧げに分かる。人間死に際にも幾ばくかの体力は必要らしくその位は蓄えろと