もう少し「闘技場」の話。
翻案作品として有名なのは、藤子・F・不二雄「ひとりぼっちの宇宙戦争」(1975)であろう。
主人公の少年は人類代表として、自分と同じ能力を持った機械と決闘することに。闘技場は、時間が静止した街。誰も知らないところで、人類の命運が決まる。要素の組み換えが絶妙。
岡崎二朗「アフター0:のみこむ」(1992)
砂漠で発見された植物を見に来た久賀山と恭子。久賀山は恭子を愛していたが、恭子は片岡と結婚する予定。エンジンが壊れ、ふたりとも窮地に。久賀山は恭子を植物にのみこませて助ける。久賀山の愛を知った恭子は、片岡と結婚できなくなった。
(デーモン博士)
ソ連の科学者。エイトマンのボディ(ロボット08号)を回収しようと目論むが、ことごとく失敗。東八郎の人格を含めたエイトマンに敬意を示すようになる。
テクノロジーのみを信奉し、金や権力、思想に興味を示さない。エイトマン最大の敵であり、最大のファン。
仕事にせよ趣味にせよ、「なぜはじめたか?」「なぜ続けているのか?」を振り返ることは、意義あることだと思う。気がつくと妙なところで、妙なことを繰り返してるってのは、マジでよくあることだから。
生物と機械。勝敗を分けたのは火事場の馬鹿力──すなわち愛のため限界を超えた力を発揮することだった。ブラウン「闘技場」に比べると安直な気もするが、「週刊少年サンデー」に掲載されたジュブナイルだから、ちょうどいい。というか、ほかのパターンを思いつけない。藤子先生の発想力に脱帽した。
(サイバロイド)
んが、よくよく思い出すと『宇宙鉄人キョーダイン』(1976)のサイバロイドも電脳だった。特撮は子ども向けで、漫画は尻切れトンボだが、アイデアは冴えていた。
そして今、エイトマンも電脳とわかって、私はふたたび打ちのめされている。日本SF文化、たまらないぜ。
私は麻雀を知らないが、聞くところによるとセブンさんは「ロマン派」で、でっかく勝つためなら冒険も辞さない。しかし近ごろ負けてばかりで、感覚的な確率と現実の差に打ちのめされているようだ。
ゆっスペのお題は「数学的パラドックス」。はてさてセブンさんは、ロマン派を返上できるだろうか?
『エマ』は衝撃だった。
19世紀末英国を舞台にした、メイドとジェントリの恋物語。なんとなく知ってるが、よくわかってない世界に、しっかり触れるような体験。建物や道具のリアリティ。精緻に描き込まれた毛先や服の皺。信念を感じるストーリーテリング。森薫のあとがきも素晴らしい。圧倒された。
同じような話が漫画『攻殻機動隊』にもあった。
サイボーグ技術によって超精密射撃が珍しくなくなった未来では、「絶対確実に殺せる距離まで接敵する能力」が問われる。
その瞬間、その場所にいて、その機材をもっていること。
「大鴉」は、もっと踏み込むべきだった。有名な詩だから、みんな知ってる/調べてる/読み解きしてる前提で作ってしまった。とはいえ、私程度の知識で解説は無理。ツイートしたような、読み解きをやればよかったか。うむむ。
やりすぎか、やらなすぎか、うまくいかない。
大人になって最終回を見たら、ぜんぜんちがった。裏切り者がいたところとか、スーツの限界に挑むところは合ってるから、なお混乱した。くそっ! おれが愛した最終回はどこにあるんだ!
友だちを追求したら、「そんな話をした覚えはない」と言われた。それじゃ美化したのはだれだーーー??