「地球へ…」のソルジャーは、戦闘担当者ではなく、族長のこと。一族を守り、導くもの。最強であることが条件で、人格や付託は問わない。ソルジャーの敗北は、一族の全滅を意味する。
脆弱なミュウは、強いソルジャーなしに生きられない。だからソルジャーは、次のソルジャーを探す。
原作ファンが、「絵が動いて、声がついて、音楽も聞こえればハッピー」と喜ぶ気持ちはわかる。わかるけど、アニメにはアニメならではの演出があって、よりよくできたはず。が、「よりよく」の基準はあいまいで、演出家の哲学がにじみ、「より悪く」なる可能性は高まる。なら原作通りが安牌か。南無。
「地球へ…」は、三世代にわたるソルジャーの物語。
主人公ジョミーは、先代ブルーの遺志を継ぐため、自分を酷使する。そんなジョミーの願いから、トォニィが生まれた。ジョミーはトォニィを酷使する。みなのために戦え。恐れられ、怪物になっても、死ぬまで戦え。
◆言語化してみよう
第32話「決心」 密かな関係を続けると決め、気持ちが華やぐ。ウィリアムのプランは明かされず、誘拐事件で霧消する。
第48話「お願い事」 ふたりの関係を公的に認めてもらうと決め、行動する。新しいプランも明かされない。
そこを書いてくれと思うが、描く必要はないのか。
◆ゲームの才能、リアルで役に立つか?
後輩Yはゲームがうまい。若いころは反射神経が図抜けていると思っていたが、歳を取ると、センスのちがいが顕著になった。
攻略法を見つけるのが、べらぼうに早い。ヘンテコ武器を使って、おかしな場所から、極大のダメージを与えたりする。ほんと、脱帽する。
◆ゆっくり急展開
終盤の流れは独特だ。なんでもない日常がていねいに、執拗に描かれるが、主要人物の内面は語られなくなる。読者はウィリアムやエマに没入できず、部外者(ターシャ)の視点で、成り行きを見守ることになる。はじめて読んだときは「不親切」と思ったが、いまは愉しめる。
(オレでなきゃ見逃しちゃうネタ)
映画「ファイト・クラブ」にはサブリミナルカットがあって、嘘字幕にも残してある。ラスト、石けんが出てくる直前の、3フレーム。そこにあると知っていれば気づく。0.25倍速で表示できる。
あさりよしとお「宇宙パトロール前史」(1986)
血清を運ぶ宇宙船に密航者。しかも美少女で、放逐できない。パイロット2人は言い争う。
なぜかふつうにワープアウト。ドタバタで積荷を捨ててしまっていた。なので疫病の死者は数万、数十万に達した。
主人公は心配する。人間社会がイヤで猿になっても、今度は猿の社会がイヤにならないだろうか? 主人公は都会に帰る。
「人猿の湯」がもたらす変身は双方向だった。人から猿へ、猿から人へ。イヤになったら逃げ、逃げて駄目なら戻る。かくいう旅館の従業員も、人間の暮らしを試す猿だった。(おわり)
劇場アニメは、原作にないラブとアクションが追加され、必要な説明が省かれ、ぽんぽんシーンが飛ぶ。原作漫画のほうが絶対おもしろい!
・・・なんだけど、劇場アニメも捨てがたい。劇場アニメを見たら、あわせて原作も読んでほしいぜ。