『新編武蔵風土記稿』には稲付村の小字名として「鶴ヶ堀」が見え、「静勝寺の西脇にて昔太田道灌が城廓ありし時の堀跡なりと云」とある。
鶴ヶ堀があったのは西側の外縁部付近だろうか。水堀代わりの亀ヶ池に加え、相当な重防禦化である。鶴ヶ堀の命名は亀ヶ池に対するものか。
#稲付城
最初に足利持氏と上杉憲実の主従のイメージを刷り込まれたのは、やはり小学館の学習まんが『少年少女日本の歴史』ですね。
きっとモデルは加トちゃんと志村けんにちがいない。
扇谷上杉方最強の国衆といえる三浦道寸とその子荒次郎義意は、伊勢宗瑞(新九郎)にとってまさにラスボスであり、彼らとの戦争はラストバトル。
三浦父子が『新九郎、奔る!』ではどう描かれるのか楽しみです。
ちなみに参考資料(永井豪『北条早雲』)⤵︎ https://t.co/t2c8v4VgQY
武田信重は上杉禅秀の乱で没落し幕府の庇護を受けた、いわゆる京都扶持衆のひとり。
父信満の敗死後、修羅の国と化した甲斐に入れず、長年西国に雌伏していたが、永享の乱を機に甲斐守護に返り咲く。
なお戎光祥さんからは信重の弟信長の論集も出ている。こちらも波瀾万丈が過ぎる人。