ところが、貞和3年(1347)4月、春近領半分が信濃守護小笠原貞宗に対して宛行われた。
小笠原はついに室町幕府から春近領進出のお墨付きを得たわけである。
五代後唐の荘宗李存勗の跡を継いだのは存勗の父克用の仮子の嗣源で、この人は沙陀ではなくテュルク系の雑胡だというし、その明宗李嗣源の跡目は実子が継ぐもすぐに廃されて、戦場で拉致してきた妻の連れ子が立つという具合…
沙陀族出自かどうかには全然こだわりがないようだ。力こそパワー💪
上杉能憲は憲顕の実子ですが、重能の養子となった人。のちに鎌倉公方氏満のもとで義弟朝房とともに関東管領をつとめ両上杉と称されました。
幕張の古い表記の「馬加」って、まくわうりに音が似てると思ったら、いちおう一説としてまくわうり起源説があるのか…🍈
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