足利氏の根本被官といえば、のちに将軍家政所頭人を家職とした伊勢氏もそうですよね。鎌倉末期には伊勢宗継なる人が上総守護代をつとめており、すでに有力被官だったようですが、この一族もまた被官化の経緯は不明ですよね。
伊勢平氏季衡流と称しているけど今ひとつ来歴もはっきりしないし…
ちな、『小学館少年少女まんが日本の歴史』の北条時行と諏訪頼重。
ぷにぷにほっぺの時行がかわいいです。
頼重→ ( `Д´)ノオ-ッ
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今川了俊といえば普通じゃないほうの『太平記』
九州探題を解任された恨みつらみを自著『難太平記』に書きつらね…でも自分のやらかしについては触れず🙂
#新九郎奔る
でも、この時行・頼重による「中先代の乱」が起こらなければ、尊氏の関東下向もなかったし、後醍醐政権からの離叛もおそらくなかったのではないか。
そう考えると、北条時行の叛乱はある意味室町幕府を生み出すキッカケだったわけで、教科書に載るのも当然といえば当然だよなと。
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銀河帝国軍の参謀ではなく、西軍に加勢する大内左京大夫です。
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「年代記配合抄」によると山内・扇谷の合戦は永正2年3月まで続いていたようだが、同年4月には上杉顕定が佐竹義舜に「抑旧冬招越越州衆進発、然間、武・相両州敵城、或自落、或攻落候故、速静謐」と書き送っており、すでに和睦が成立している。
ここに長享の乱はようやく終結を見た。 https://t.co/6Axo9G3ErF