彼女の才能に叶わないことに傷ついたリカ先輩は響を一度気絶しますが、誰よりも身近で響の才能を認めていたからこそ、その後で響を受け入れたいと願うシーンが素敵です。
響もまたリカ先輩をかけがえのない存在と思っているシーンもあり、秀才と天才がおりなす関係性にやられる作品。
小玉ユキ先生『波の上の月』。
人間と人魚の心の交流を描いた短編集『光の海』収録作。
同性に対して我が身が滅んでも構わない程の熱烈な恋をする人魚の男の子と、同じ想いを抱きつつも口にせなまま大人になった人間の女性。
人魚に心を揺さぶられ、最後に言えなかった一言を口にする社会人百合。
もちろん思春期的な要素もありますが、松浦理英子先生が述べるところの肌性感についての言及があったり、女性の柔らかい体に驚きつつ誘われる描写がわりと共通しているような気がします。
レディースコミックならではの体と心の文脈。
それと同時に、フィールヤング周辺作家さんには渋谷でスカウトされる『ヘルタースケルター』のこずえだったり、109の遠景から始まる『ラブ・ヴァイブス』、渋谷が舞台の『渋谷区円山町』など、渋谷文化を感じさせる作品が散見されたような気がしています。
※フィールヤング以外の作品もあります。
冨明仁先生『ストラヴァガンツァ-異彩の姫-』で描かれるヒビアン王女とルバの関係が好きです。
他種族の侵攻を食い止め荒廃した祖国ミテラを復興するという使命に立ち向かうヒビアン王女と、誰よりも近くで彼女を支えていたルバ。
戦乱が治まった後、結婚を決めたルバの最後の出仕シーンが美しい。
「やっぱり城に残ろうかしら」
と告げるルバに
「いいわよ。今しか叶えられない幸せを手放せるのならね」
「子供が生まれて。その子が手を離れて。それでもルバがその気ならいつでも戻ってらっしゃい」
と告げるビビアン王女。
"時間が経ってもあなたを待っている"という告白がとても百合的。
戻ってくるまでは"クラリアとして"あなたに会いに行くと告げペアイヤリングを渡すシーンが素敵。
王宮の中では仮面をつけたヒビアン王女として過ごし、市井の人々と触れ合う時は仮面を外したクラリアと名乗っていた彼女が、
「クラリアとして!」
会いに行くという言葉の持つ危うさがとても素敵。
祖国に侵攻してきた他種族の圧倒的な力に打ちのめされるヒビアン王女に対して、
「あなたは生き抜きなさい」
そのために
「ぬるい事してないでついてきた人間ぐらい使いなさいよ」
と、自分の命を投げ出す覚悟を告げるルバ。
とても素敵です。
冨明仁先生『ストラヴァガンツァ-異彩の姫 -』
『ストラヴァガンツァ-異彩の姫 -』は日常を侵して悪意がやってくるという話。
山田玲司先生の言葉を借りれば絶望が外からやってくる『進撃の巨人』や『HUNTER×HUNTER』(キメラ=アント)編の10年代以降の新たな絶望譚の系譜です。
そこで描かれる絶望の原泉も"興味"や"衝動"であり興味深いのですが。
峯田和伸さんの言葉を借りると"遠くにあった絶望が俺たちの世代ではすぐそこまで来ている"というような日常に侵攻してくる絶望。
それにどう抗うかという10年代以降の文脈において、誰よりも身近で見守り命をも投げ出すというルバの回答は時代性もあってとても素敵に見えます。
祖国ミテラを襲う災厄を突き止めるべく、ビビアン王女が単身での旅立ちを決めた朝、一人だけ彼女の真意に気づいたルバが城門で待っている別れのシーンで迸る二人の絆がとても素敵。
冨明仁先生『ストラヴァガンツァ-異彩の姫-』