キリエと幸せに暮らしていたアンジェリカですが、元々人間であるキリエはアンジェリカとは異なり永遠には生きられない存在でした。
キリエの命の灯が消えつつあることを悟ったアンジェリカは、全てを可能にする力を得るため守護者の命を奪い『神の手』を集めることを決意します。
「(あなたが)憎らしい」
というのが個人的に大好好きな告白のパターンなのですが、8月の百合文壇バーの予定をどうしようかあれこれ考えながら、気づくと毎日エヴァ完結巻特装版を読んでいます。
好きな相手でも真正面から見つめ合うことができずにその背中を見ていることしかできない、というシギサワカヤ先生『君だけが光』の描写などを見ると、恋とか愛とかアイデンティティーとかそういう複雑に入り組んだものを、人間は一人の誰かを相手に全て解消できないのではないかと思ったりします。
9月24日(月)21時~
「食欲の秋 ご飯を一緒に食べる百合シーン特集」は甘々、ほのぼのから殺伐までご飯を食べるシーンだけを沢山見ようかと思っています。オススメも募集中。
※画像は志村貴子先生『どうにかなる日々』。傷心の想い人のため、好きな料理を作っあげようと決めた主人公の買い物シーン。
作中に出てくる
「だーら、あーし…捨ててきた」
「誰と居ても独りぼっちになっちゃうあーたが、何に耐えてきたのか、理解するために」
という好きな女の子を理解するために全てを捨てた女の子の台詞に関係を繋ぎ直すエモさが爆発していてとても素敵です。
心と体にについてのシリアスなテーマを持った『レトルトパウチ!』で特に好きなのは女子高生リカが好きな女の子めばえに向けて
「触れたところから全てが流れ込んで通じてしまえばいいのに」
「わたしたちはセックスにそんな力がないことを知っている」
「でも」
「だからこそ」
と願うシーン。
『テオ-THEO-』でも、近くにいるからこその"息づかい"や"温もり"、そしてそこから生まれる"気付き"や"愛しさ"が丁寧に描かれていたので、シーナとミミの今後がとても楽しみです。
それにしてもキスによって魔力を注ぎ込み傷を癒すというアイディアは最高ですね。
つきひあきひと先生『メイドインアビス』②巻のライザとオーゼンを忘れていました。
姿は見えなくともライザを信じ続けるオーゼンの強さ、とても素敵。