んで思ったんだけど、レトロな技法が再評価されたとき、当時やってた人は大抵もういないのな。全体が若い人によるパロディになってしまい、だからこそ意味が理解されるというのもある。小松崎茂、石原豪人、生頼範義あたりは幸運な例外だと思う。長命で腕が衰えていなかったから可能だったのだ。
「あとから見るとわからない価値」というのがあると思う。園田光慶の「アイアンマッスル」がどれだけ衝撃的だったのか、夏目房之介や秋本治の証言がなければ知ることはできなかったろう。劇画表現全体がコモディティ化された今日では埋もれて見えるからだ。「オホーツク」の音楽もその意味で記したい。