オタクの発生した根底に、第三次ベビーブームを生むはずだった巨大なリビドーと、それが満たされなかった歪みがあるというのがオレの意見である。同じようにして学生運動とその尻尾の世代の根底には、総括しきれない屈辱を現世利益で糊塗しよう、自己肯定しようという意思があったのだとオレは思う。
「動かない動き」というとあとこれ! 藤子A! 肉体は絶対にこんな風には動かず、アニメーターならこうは描かない。しかし動くはずのないこの絵は紛れもなく動いており、その「だまし絵」のようなインパクトは一度見たら忘れられない。すげえ! いったい何やってるんだ兄ちゃん!
島耕作を長年読んで謎だったのが「自己肯定への貪欲さ」である。学生運動でコテンパンにされた世代だろうに、懲りてるようで懲りて無い、というかずっとあの失意の自分を肯定したかったのだろう。総括するのが死んでもイヤだったのだ。総括という名の自己否定をされる屈辱が身にしみているから。
蟹座の黄金聖衣というのは、おそらく装着者を守るとか何も考えておらず、「こいつがワシを着たらオモロいやろうなあ」「ここで突然こいつ見捨てたらオモロいやろうなあ」という行動原理でしか動いていないのではないか。
何度も書くが藤子Aの「存在しない動き」はもっと語られていい。映画のアクション監督もアニメーターも「殴る」という動作をこのようには描かないだろう。これはマンガに最適化され分解された「殴る印象」であり、動きは硬直的で不自然である。だがそれゆえ、むしろ強烈に見る者の心に刻まれる。
今週のモーニングで、島耕作の亀淵が死んでいて慄然とする。一部で有名なこの男である。この漫画においては「島耕作を妨げるもの、死の翼に触れるべし」であり、誰もがすっかり忘れたと思っていたが、島耕作世界の神は執念深く覚えていたのだ。もちろん島耕作は彼の死に麗しく涙を流す。