この「白目にグラデーションを意図したタッチを入れる」というの、流行ったけど結局廃れたのである。難しいから。おそらくアニメにおいて上まぶたの下にカゲ色を乗せるという効果的技法が発明されてマンガもスクリーントーンでそれに追従したように記憶する。メグの大胆なカゲは今見てもドキっとする。
「はだしのゲン」とか「カムイ伝」とかの、その時代における最も気高い、尊い、本来しなくてもよかった創作上の努力が、訴えが、いつか時代の変化とともに無価値となったり、別種のプロパガンダに取り込まれたりしていった過程について、オレらは記憶するだけでなく、どこかで記しておくべきと思う。
たとえば古代進にこういう要素はないのである。結果、キャラクターに深みが出ない。逆にシャアのロリコンとかは深刻すぎて魅力に繋がらない。「サイヤ人は働かない」皮肉の効いたこの設定一つで、悟空はぐっと魅力的なキャラクターになる。長年ギャグ漫画で鍛えたセンスであろう。働くわけねえよな。
島耕作のスタンスとしては、マンガで文革期を振り返った「チャイニーズ・ライフ」が思い浮かぶ。要するにこの現場猫である。過去については「オレじゃない」「アイツがやった」「知らない」「済んだこと」と切り捨てつつ現世利益に執着し、その自己を肯定するのに躊躇がない。まあ辛かったんだろう。
猿田博士との関係ばかりが注目されるが、このお茶の水博士の顔を見たまえ。彼の複雑な内面を覗かせた、おそらくただ一度の表情だ。サラっと描かれたように見えるこの顔こそ、劇画の洗礼を浴び、それを克服した手塚にしか描き得ぬ表情と思う。実は当の劇画はここまでの深い表現に踏み込めなかった。
「わしはブラックペッパーの精じゃ 釜玉うどんにかけるとカルボナーラみたいで美味いぞ」
「うるせえ殺すぞ、そこは七味に決まってるだろが」
今話題になっているこの図、はじめて見たときには本当にびっくりした。必要最低限に描かれた筋肉の緊張感、愛撫するかのようにくねる指先の妖しさ、「弓を引く」という行為をここまで繊細にエロティックに描いた者はいないのではないか。