ここ数日このニュアンスが気になっている。すっごいわかる。実は「一銭洋食」の昔からお好み焼きというのは形而上の食べ物ではないかという気がしている。どこかに「ほんとうのお好み焼き」というのがあり、昔食べて今はない。あるいは紛れもなくここにあるとする。それはもはや宮沢賢治の世界なのだ。
8マンを参考にしたと思われるセブンマンのデタラメ感を自分はむしろ愛するのであるが、こんなもん愛してちゃダメだぞ。アニメとかゲームとか卒業してもっとちゃんとした大人になれ。
91年当時最新鋭のMSX2を駆使したドット絵CG表現も炸裂! この縦長ドットはSCREEN7だ!
「横綱大社長 高画質完全版」
https://t.co/wGLwygt370
「あとから見るとわからない価値」というのがあると思う。園田光慶の「アイアンマッスル」がどれだけ衝撃的だったのか、夏目房之介や秋本治の証言がなければ知ることはできなかったろう。劇画表現全体がコモディティ化された今日では埋もれて見えるからだ。「オホーツク」の音楽もその意味で記したい。