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「遠州掛川外れの、天宮大明神の神主で中村斎宮というのの息子が、国元から江戸へやって来た。石川瀬兵衛という剣術使いの弟子になりたがり、あちこちを訪ねていたから、おれが面倒を見ることにした。」
#はやおき訳
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「十八の年、また信州へ行った。その年は兄貴の体調が悪くって、坂城という村の見取場の検見を、おれにさせた。
村へ出向いて、一番不作の所に棹を入れたら、籾一枡二合五勺あったから、年貢を決める時、一枡六合五勺も採れるように扱ってやったら、百姓どもが喜んでいた。」
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「翌年正月、番場へ遊びに行ったら、新太郎と忠次郎が庭で、剣術を使っていた。おれにも使えと言うから、忠次郎と使った。出合い頭にひどく胴を切られて、気が遠くなってしまった。
それから二、三度使ったが、一本もぶつことができぬから悔しかった。」
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「祭の日になったから、夕方、番場町の男谷家へ行った。兄弟も待っていて、
『よく来た。今、源兵衛が湯へ行ったから、帰ったら出掛けよう』
と、支度をしていたら、源兵衛が帰ってきた。
それからケンカの打ち合わせをしながら、八幡へ行った。」
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「謝って漁師町を出た。飯を食いながら愛宕山に入って、一日寝ていて、その晩は坂を下りるフリをして、山の木の繁っている所で寝た。
三日ばかり人目を忍んで、五日目の夜に両国橋へ来た。
翌日から、回向院の墓地に隠れて、少しずつ食物を買いに出たりした。」
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