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「おれが七歳の時、今の家に養子に来た。その時、十七歳と偽って、消し棒にしていた前髪を剃り落とした。
養家で、初めての判元見届をした。小普請支配の石川右近将監と組頭の小尾大七郎が立ち会い、青木甚平という義父の兄貴で大御番が仲介をした。」
#はやおき訳
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「言われた通りにしたら、だんだん家のイザコザも収まってきて、やかましい婆あ殿もおれを立ててくれるし、世間の人にも信用されるようになってきた。だから人が解決できない難しい相談事、話し合い、その他何でも、自分のことのように思って、助けてやった。」
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「人の家の騒動は解決しても、おれの家がうまく回らないから困っていたら、ある老人が教えてくれた。
『世の中は恩を恨みで返すのが世間の人のやり方だが、お前さんはこれから恨みを恩で返してみろ』」
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「息子を常におれが抱いて寝て、他の者には手をつけさせなかった。毎日暴れ散らしたものだから、近所の物が、
『今度岡野様の所へ来た剣術使いは、子を犬に食われておかしくなった』
と、言いおったくらいだった。」
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「『今晩の命の保証もできません』
と医者は言った。家中のやつらが泣いてばかりいるから、思いきり小言を言って、叩きちらしてやった。」
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「入江町の岡野孫一郎の地面へ引っ越してから、だんだん脚気も良くなってきた。
越してふた月目だったか、息子が九つの年、お城から家へ帰ってきた。」
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「当日は参詣者も多くにぎやかだった。講の連中も集まってきて、酒肴や膳が振る舞われた。
兵庫がいつの間にか酒に酔って偉そうな面をして、おれの友達を顎で使うから、おれが怒ってやかましく言ったら、無礼な返事をするから、宴会の中途で、友達を残らず連れて帰ってやった。」
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「親父が、おれの頭の石川右近将監に、おれが帰ったことを報告した。
『大層なことをしでかしてしまいました。小吉は隠居させて、勝の家には他に養子を入れてはどうか』
と言った。石川殿は、
『今月帰らないと、月切れでお家断絶になるところだった。だが小吉は帰ってきた』」
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「医者が来て、腰の辺りを痛めてるんじゃないか』
とか、いろいろと言った。その時はまた、金玉が膿んできていたが、意地を張って、
『ない』
と言って隠し通してしまった。
ところがみ月ばかり経つと、湿(疥癬)の症状が出て、だんだん酷くなってきた。」
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