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「それから、村方のこれまであれこれと敵対した者へそれぞれ咎を言いつけ、水呑百姓の身分に落として、江雪斎の頃からの古百姓には役儀を言いつけ、今回金を出した者には皆、名字を名乗ることを許した。代官には、一年に九斗ばかり収穫が見込める荒地と屋敷を遣わした。」
#はやおき訳
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「当日は参詣者も多くにぎやかだった。講の連中も集まってきて、酒肴や膳が振る舞われた。
兵庫がいつの間にか酒に酔って偉そうな面をして、おれの友達を顎で使うから、おれが怒ってやかましく言ったら、無礼な返事をするから、宴会の中途で、友達を残らず連れて帰ってやった。」
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「言われた通りにしたら、だんだん家のイザコザも収まってきて、やかましい婆あ殿もおれを立ててくれるし、世間の人にも信用されるようになってきた。だから人が解決できない難しい相談事、話し合い、その他何でも、自分のことのように思って、助けてやった。」
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「『今晩の命の保証もできません』
と医者は言った。家中のやつらが泣いてばかりいるから、思いきり小言を言って、叩きちらしてやった。」
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「入江町の岡野孫一郎の地面へ引っ越してから、だんだん脚気も良くなってきた。
越してふた月目だったか、息子が九つの年、お城から家へ帰ってきた。」
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「男は何をしても一生食っていけるから、上方辺りへ行って一生居ようと思った。
そこで十四歳の五月二十八日、金を七、八両盗み出して腹に巻き付け、股引を穿いて江戸の養家を出た。ひとまず品川まで道を訪ねながら行き、東海道へ入ったが、何だか心細かった。」
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「ある時、地主がお代官になりたいと言うから意見を言ってやったら、ひどく腹を立て、葉山孫三郎という手代と相談して、おれを地面から追い出そうとした。そこで葉山孫三郎が来た時に、山口の家へ入れて、お代官の勤め方について話してやった。」
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「息子を常におれが抱いて寝て、他の者には手をつけさせなかった。毎日暴れ散らしたものだから、近所の物が、
『今度岡野様の所へ来た剣術使いは、子を犬に食われておかしくなった』
と、言いおったくらいだった。」
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「十二の年、兄貴の世話で学問を始めた。林大学頭の所へ連れて行かれて、それから聖堂の寄宿部屋の保木巳之吉と佐野郡左衛門という先生に就いて、『大学』を教えてもらった。
おれは学問は嫌いだから、毎日桜の馬場へ行って、馬に乗ってばかりいた。」
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