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「その稽古場に、おれの頭(かしら)の石川右近将監の息子も来ていた。そやつはおれの禄高や何かをよく知っているから、大勢の前で、
『手前の高はいくらだ、四十俵ではさぞ困っているだろう』
と言って笑いおるのが常だった。」
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「稽古を始めてふた月目に、遠乗りに行ったら、道で先生に出くわした。困って横丁へ逃げ込んだが、次に稽古へ行くと小言を言われた。
『まだ鞍にも座ったことがないだろう。今後は決して遠乗りはするな』
と言いおったから、今度は大久保勘次郎という先生に弟子入りした。」
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「親父が家中の者を集めて、百物語をしろと言い出した。屋敷の隣にある原に化け物人形をこしらえておいて、夜、皆が一人ずつ行って、その化け物の袖に名札を結びつけて帰ってくるという趣向だ。皆怖がっていておかしかった。」
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「ようやく思い直して、一日、あちこちでもらって歩いた。米や麦五升ばかりに、銭を百二、三十文をもらって宿へ帰った。」
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「祭の日になったから、夕方、番場町の男谷家へ行った。兄弟も待っていて、
『よく来た。今、源兵衛が湯へ行ったから、帰ったら出掛けよう』
と、支度をしていたら、源兵衛が帰ってきた。
それからケンカの打ち合わせをしながら、八幡へ行った。」
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「この年、親父や兄に言って、男谷の外で住むことにした。割下水の天野左京という人の地面を借りて、今までの家を移築することにした。その間居所に困ったから、天野の屋敷の二階を借りていた。」
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「入江町の岡野孫一郎の地面へ引っ越してから、脚気もだんだんよくなってきた。
ふた月ばかり経った頃か、九つになる息子が御殿から戻って来た。そこで本読みの稽古に、三つ目橋の向こうの、多羅尾七郎三郎の用人の所へ通わせることにした。」
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「三、四人が喜三郎にすがりついて、
『少しの間、お待ちくださいませ。一同が一言、申し上げることがあります』
と言った。喜三郎が、
『早く言え』
と言ったら、
『先ほど仰せの儀には、恐れ入りました。我々の家財を売ってでも、金子は用意いたします』
と言いおる。」
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「これまでいい友達もなく、悪友ばかりと交わって、良いことには少しも気付かなかった。法外な振る舞いを英雄豪傑と思い込んで、間違えたことばかりした。親類、父母、妻子にまで、どれだけ苦労をかけたか分からない。」
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