暴風雨や時化の時に、航行中の小型船舶が非難するための #避難港。全国で36か所が指定されている。そのすべてを地理院地図で示した。各港とも、2048×2048で統一。港の規模はさまざまだけど、外洋から逃げ込みやすい岬などが多い。瀬戸内海などの内海にはない。 https://t.co/dMIZLgEgKi
#慶應義塾 のある日吉。横浜市のHP(https://t.co/pcyRXqKPm9)で終戦前後の大縮尺(三千分一)地形図が見れる。西側の日吉台図幅は昭和22年製版だが、#藤原工業大学 が存在し戦災やGHQ接収の様子もなく戦中の作成か。多角形放射状街路の日吉駅前の建物はまばらに見えるが…。地理院地図の地形分類図も。
1969(昭和44)年の北陸4都の道路網(和楽路屋の道路地図)。バイパスはまだ殆どなく旧ルートがよくわかる。皆、街中を通り抜けていた。#国道8号 は福井バイパスのみ国体関連で急遽部分開通(実際は丸山ー莇生田のみ)している。金沢バイパスは着工区間に予定線の記載ないうえ松任区間は既開通も修正落ち。
#大河津分水路 は正式には昭和40(1965)年まで #新信濃川、その後 #信濃川 #信濃川放水路 を経て昭和47(1972)年に大河津分水路となったが、地形図等では昭和40年代まで新信濃川、昭和50年代から大河津分水路で、途中経過の名称の記載例はないよう。道路地図は2000年近くまで新信濃川のものもありました https://t.co/NrAzpDXb5I
宮崎県都農町の地理院地図を見ていて偶然、下瓜生、中瓜生、上うり生。なぜ上だけ”うり”?と思ったが、古い地形図は #苽生。ストビューで見るとバス停は苽生。町の防災マップも苽生だ。正式な住所は川北だが、苽生は地元で今も生きた通称地名。地理院地図、苽にできないの?なお、苽は本来は”まこも”
あたらしい #電子地形図50000 と #地理院地図 、紙の地形図とで、#注記文字 や記号の描かれ方を比較すると、地理院地図の素晴らしさがわかる。文字や記号の周りの白い余白で道路や建物記号が隠れてしまうのだが、地理院地図は絶妙だ。電子地形図5万はDPI不足で文字フォントの太さが不定なのが惜しい。