(続) ③特別支援学校の注記。個別の学校名(固有名詞)は”~特別支援学校”のほか”~総合支援学校” ”~視覚支援学校” ”~聴覚支援学校” ”~支援学校”など多彩だが、一般名詞は”特別支援学校”。地理院地図の注記は”養護学校”を含め多彩だが、学校名を記載しないなら”特別支援学校”に統一すべきかと思う。
新潟市西区の「小針銀座」にはまってしまい、持っている住宅地図でその過去に見入ってしまった。36年前には小針十字路(紫マーク)にスーパー・商店・書店・銀行が集積、新興住宅地の中心街だったが、より郊外に大型商業施設もできて小針銀座の商業は衰退し、銀行と塾が目立つだけとなった。
この、昭和14年発行の「大日本分県地図併地名総覧」は大冊の地図帳だが、後付に記載された「本図は正価提供につき絶対割引せず」という宣言にも似た”絶対”つきの文句が印象的である。下の方には念を押すような”御注意”も書かれている。当時はよく値崩れを起こしていたのだろうか?
(続) 別荘地の「御坊主」と「八百僧」も面白いし、「ヲシバ」というのもよい。ヲシバは漢字風でエボシ山は一般的な明朝体なのは修正時期の相違によるのだろう。
居住者や建物がなければ地名があっても注記されないので、山の中が開発されたことによって潜んでいた小字が姿を現したというわけかと思う
赤字での加刷があまり美しくない2万5千分1地形図は、それまでの東京市15区に、1932(昭和7)年10月1日、周辺5郡82町村を編入し改編して新たに20区を設置し、合わせて35区としたことを反映した、仮製の地形図。昭和7年部分修正測図、昭和7年10月30日発行で、今でいう迅速更新だな、実は資料修正だけど。
東京都内にあるサントリーの工場は、有名な武蔵野ビール工場(府中市)ともう一つ多摩川工場(稲城市:サントリープロダクツ(株) 清涼飲料水を製造)が、玉川を挟んで向い合うように立地している。この付近の変遷を今昔マップで。GIF動画はスレッドに。サントリーって1963年にはもうビールを作ってたんだ。 https://t.co/NMMCdkcny4
鰻の日といえば土用の丑の日。なんと今夏は2日あり、7月23日と8月4日。さらに1月24日はすでに過ぎたが、4月18日・30日、10月27日とあわせて土用の丑の日は6回もあるのだ。
平成の種子島の地形図に”うなぎ養殖場”。日本一美味しい養殖ウナギという話だったが、地理院地図からは消失。どうなったのかな
ウクライナ報道の地図を見ていて…。
TVでは縮尺(スケール)を表示する例がまだほとんどないみたい。新聞系はスケールを入れるようになってきつつある。ネット上の地図をざっと見た限りだが、毎日、中日、時事は優秀。日経、朝日はスケールなし。読売は統一されず、入っているスケールが間違っている。
1964(昭和39)年1月発行の日地の東京区分地図の新宿区。新宿駅の両側の住所は角筈。以前は淀橋町→淀橋区域だった。伊勢丹あたりから東の当時の新宿は大正まで内藤新宿町→四谷区域。都電が縦横に走りトロリーバスも通っていた。西新宿は淀橋浄水場にガスタンク。副都心構想が動き始め、直後から大変貌
たしかに田沢湖は古く辰子潟とよばれ、田子(たっこ)と同じアイヌ語のタプコプが語源という説が有力のようですね。江戸時代の古地図を当たってみると、八郎潟という表記が多く(男鹿半島のほうは大方八郎潟とも)、田澤潟とともにタツコ潟の表記も見られました。 https://t.co/0aMfQOLMQi
いまも「軍都」の一面がある熊本市。健軍にある西部方面総監部は軍隊の跡地ではなく民間の軍需工場跡地。昭和18~19(1943-44)年にかけて完成した三菱重工業の航空機工場。陸測地形図には記載がないが、米軍は戦争末期に航空写真を撮ってAMS地図に反映させている。戦後の5万図は応急修正して発行。(続)