おひるー🍙
職場の人たちも、暑さで朦朧としはじめまして
「アレ?何だっけ?そうだ、アレを…、そう、アレをやっておかないと…だからアレがないと駄目なのか。うん、そうだな」(独り言)
指す元のない指示語で語るようになりました
水分、休憩、食事、睡眠しっかり取って、どうぞ良い午後を🍀
「なんで初めからやらないの!?」
と聞かれたので
「初めからやっても、ニンニク食べて巨大化して怪獣やっつけるウルトラマンみたいな事やってるから、もっとカッコいいお話を切り出してるのよ」
って言っておいた。 https://t.co/M1vmXq7foJ
さて「お猿の電車」ですが
お客様は子供達で、バッテリー駆動の電気機関車をサルが運転
実際に猿が運転していた為、止まったりバックしたり、こうした気ままな運転も売りの一つでした
しかし猿の訓練の負担や、10歳を超えた猿の凶暴性が高い事から1955年には猿はお飾りに、係員による運転に変わります
サリバン先生の強烈な躾は、両親が解雇を考える程だったそうですが、「躾」「指文字」「言葉」を教え、言葉を話すところまで教えるのです
有名な話で、コップと水を同一の物と思っていたケラーに、ポンプの水をコップに注ぎ「water 」を伝えました
この時からケラーの反抗も減ったそうです
その後も「徒歩ラリー」はファンを増やし続け、1970年台には全国300を超える会場で、主に徒歩ラリーのOL大会が開催
ハイキングやウォーキングの仲間として受け入れられ「スポーツをエリートの手から取り戻す」というコピーの下、オリンピックで優秀な選手が活躍したスポーツを取り戻そうとしたのです