急に思い立ってご報告(前に一度してますけど今度は画像付きで)。唐沢なをき先生@nawokikarasawaが唐沢なとき名義で出された『パチモン大王Vol.10』の「七色仮面」らしきメンコの中に「ビリーパック」怪猫仮面の巻の一場面がまじっております。1978年復刻版3巻の193ページです。しかし何でこのコマを
更に我田引水すると、小説における「視点」の重視は漫画における「パース」の厳正化ではないかと思っています。単に僕は絵が描けず、空間センスもないからの偏見ですが、手塚流の実際にはこう見えるはずのない「漫画パース」は「神の視点」と並んで捨てるに惜しいものなのではと思います。
デレマスもサイドMもよく知らんのですが、その中で数少ないお気に入りキャラにこんな関係があったとは!RT @amifiance: 神楽麗と橘ありすの血がつながってるとしか思えない漫画を描きました
生まれ変わるチャンスを失したのだという人もあろう。確かにそうかもしれない。ただ、彼らが望んだ結果になった場合、待っていた運命はたぶんこちらだ。手塚治虫氏『火の鳥 鳳凰編』より
飛鳥幸子先生の作品集を読んでいるのだけれど、この人名を見てるだけで(警部の名はセイント)、かつて少女漫画が内外のエンタメとつながっていたことがしのばれる。というか、こういう「洋画みたいな世界」を描けるのは少女漫画しかなかったのかもしれない。だがまさかバレエ漫画にヴェルヌとは! https://t.co/s0HryYMlW2
手塚治虫の赤本時代で一番好きな作品『ふしぎ旅行記』(1950)、少年の精神が少女の肉体に憑依するシチュエーションのおそらく初。一応嫌がってますが、これは当時のエクスキューズ。赤塚不二夫「おそ松くん」でも(作者の趣味とは別に)、作中での女装は常に否定的にとらえられています。
「少年マガジンR」のアンケートに答えるべく紙の本を買ったいい子には、電子版に載ってない加藤元浩先生@katomotohiroの「Q.E.D. iff」読切というプレゼントがあるのだが、これが絶妙のシチュエーションでうなるばかりなのだ。本格は時間がかかるとかズルけたがるミステリ作家(あ、僕だ)よ恥ずべし!
あったあった、これだ。「がきデカ」のまさに第一話。しかし昔はこんな細かいところまで読んで笑って、覚えていたのだな。全文書き起こしたいが、センシティブ警告を受けてもアレなので、各自目を凝らして読んでください。 https://t.co/1oX85j6gGG
#一番信用できないことを言った奴が優勝
毎度おなじみ、水木しげる先生の『劇画ヒットラー』
>平塚らいてうは「家」というとき、明らかに武家の家をイメージしている。ところが、堺の和菓子屋に生まれた与謝野晶子は商家をイメージ
ネットミームとなった論争の背景が!
じつは、東日本と西日本は大きく違っていた…民俗学が明らかにした「社会構造」 @gendai_shinsho https://t.co/x71Tjh3WUg