今日の #理科室のタイムマシン学校標本展 にも登場していた動物標本社 https://t.co/an7z2kYAaC
「ラベルを読む」として壁一面に貼り出されたラベル群のコーナーはそのまま日本の剥製史、理科教育産業史となっている。著名な島津製作所標本部をはじめ、山越工作所や動物標本社などが登場、あの三省堂が明治後期から大正初期にかけての9年間だけ、標本等の製造販売事業を手掛けていたのも面白い。4/n
大正11年6月22日付『都新聞』、東京が駄目なら大阪はどうか。出歯亀でひと稼ぎしたい有象無象の輩が寄ってきたのだろうと想像に難くない。
明治37年11月13日付『中京新報』に加藤氏による出征軍人への睾丸袋寄贈運動の仔細が出ていた。作り方の最後に「唐辛一個を入る」とある。必要に応じ型紙と現品も貸してくれたらしい。原料あるいは費用だけ寄贈した場合は「篤志婦人幷ニ女学校生徒に裁縫方を依頼す」としていた。睾丸袋を縫ってくれと…