大正10年5月1日に浅草でニコニコ遊覧園が開園する。安本亀八の名が考案者としてクレジットされた「ドリームランド(劇)」なるアトラクションが目玉だったらしい。そして「狸の玉投げ」とは(笑)4月25日付『都新聞』にはニコニコ「遊園地」とあるが、広告で使っている「遊覧園」表記が正確であろう。 https://t.co/1qysmTyaz4
洋画家の鹿子木孟郎が明治38年、大阪難波で日露戦争の日本海海戦に題材を採ったパノラマ館に関わった記事を見たばかりだったので(記事は『大阪毎日新聞』同年8月12日付)、俄然興味が湧いてきた。 https://t.co/sVNnWdFvWt
昭和54年6月17日付『大阪日日新聞』の口裂け女記事は「列島一巡ようやく下火」としてブームが終焉に向かうことを示唆する内容だった。前年の暮れにこの怪談は「岐阜県下の山合い」で生まれ、県内の大垣市や岐阜市を経ていったんは西へ西へ向かって伝播し、その後に追って東上北上したと整理している。
2019年に発見した知られざる神戸の観覧車と『神戸又新日報』で再会した(明治39年8月1日付)。紙面を追うと事件も起きていた。この「英婦人ドロンケン嬢」(同8月15日付)は泥酔した状態で来場し、2回転10銭の観覧車に1円5、60銭分、連れてきた子供を約30回転も乗せていたとして記事になっていた(笑) https://t.co/SJDamicjDG
明治39年8月18日付『神戸又新日報』に載ったこの記事は時期的に同じイベントだろうか。「怪美人千歳米坡の幽霊に扮せる写真」とあるように幽霊画だけではなく、こうした写真も出品されていたのか。 https://t.co/LmG3vO26C1
神保町からこちらの3冊をお迎えした。昭和のマイナなレーベルの新書雑書はよい。戦後まもなく縁あって草野球で対戦した進駐軍の兵士たちを期せず銭湯に案内することになり巨大なナニを見た話とか、東京にサウナ風呂が「およそ十軒ほどある」という時代の話とか、いろいろと面白い。
大正とか昭和とかのどの辺かで #最近本当に見なくなった演出選手権 と言われたんじゃないかと思う「肥えたおじさんキャラクター広告」史。「虚弱」の真逆を体現するでっぷりと腹の出た中年男性は明治の新聞のあちこちにいた