大正14年8月19日付『都新聞』「広島の女王」北田てる子こと大西卯三郎※のその後を伝える。金銭トラブルで執行猶予判決を受けたのち、新派の一座に請われ女形として舞台生活に入ったとする。
※『変態性格者雑考』は記事と細部が諸々異なり本名は大北小一郎とする。仮名表記か。出身地名も伏せてある。 https://t.co/qYq42grvkQ
木下先生の『股間若衆』や『新股間若衆』、井上先生の『ふんどしニッポン』、澁谷先生の『日本の童貞』や『日本の包茎』、そして『オトコのカラダはキモチいい』といったあたりの本を重ね合わせて「男らしさ」とは一体なんぞやと… https://t.co/Ul5SPwrl4x
まだゴム管付きの哺乳瓶時代は続く。大正2年12月11日付『信濃毎日新聞』 https://t.co/l4awXT8xZh
大正13年10月29日付『都新聞』毎年帝展の会場が鑑賞そっちのけで格好のお見合いの場となり、会場側が手を焼いている様子が記事になっていた。この年は開場以来すでに30数件が目撃されたという。掘り下げると面白そうな匂いがする。 https://t.co/T41roUFZwn
明治40年9月29日付『京都日出新聞』秋の味覚、松茸の東京他への配送を請け負う京都の運送店の広告である。面白いのは冒頭、「松茸運送」の前に「元祖保険」と謳っている点だ。先に拾った、配送中の松茸の盗難紛失が茶飯事だったことの裏返しなのだろう。明治の「松茸が卓に載るまで」事情が気になる。 https://t.co/wbEGhumspY
すわ、この話を覆すゴリラ来仙記事かと一瞬は思った『河北新報』T13.4.18付朝刊の《東洋動物協会巡業部》広告「人祖大ゴリラ 榴ヶ岡公園に来る!」ところが続報はほとんどなく、21日付夕刊に「活動人形大ゴリラの見世物小屋が面白い程人を引つけてゐる」とあるばかりだ。確かにこの写真は作り物か…!?
見つかるときは見つかる。浅草の市川團十郎の銅像について大正9年7月13日付『都新聞』の「浅草」に「團洲の暫くの銅像は上野の南洲の銅像と好一対の力だめしの含み紙の的に成つてゐる」とあった。この銅像もか。「含み紙の的」とは紙つぶてをぶつけられていたということなのだろう。他記事も探さねば。
アンパンマンがジャムおじさんを「(パン)パパ」と呼んでいたり、アンパンマンが弟を作ってくれとせがんで生まれたのがカレーパンマンだったり、しょくぱんまんは前説なく登場し、ばいきんまんは登場第一回のみ造形が違う。