『文藝春秋』昭和5年5月号の座談会記事「春宵世間話の会」、妖怪ミイラに関心を持つ動物学者の石川千代松のおかげで話題が膨らんでゆく。会の終盤で山本有三が石川に振った鰻の話題から、鰻と関連する伝承を持った「鬼の頭」を(岐阜の)和良村に見に行ったと石川が語る。1/n
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大正5年10月9日付『日出新聞』に旅行中のアメリカ人が四年前に置いていったとして横浜の税関に保管されていたエジプトのミイラが競売にかかったという話が載っていた。あいにく買い手がつかず、神奈川県女子師範学校に寄付したとある。このミイラはその後どうなったのだろう。
「キモ(っ)」とツッコまれているわけではなく、まむしのキモ粉を使っているよという「キモ」。昭和38年の強精剤《強力マムキモニン》。
RT:併せて山口文憲『日本ばちかん巡り』、長山靖生『偽史冒険世界』、斉藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件 』(全て文庫本で入手可)あたりを読むと新興宗教と偽史界隈の豊饒な世界を堪能できる。
大正7年10月20日付『都新聞』、「文展と絵葉書」との見出しながら、“文展物”にかぎらず、東京の街街でどのような #絵葉書 が誰に売れているのか、細かく伝えた記事で地域色が垣間見えて面白い。たとえば、神田ではひと昔前の美人芸妓の絵葉書が「支那留学生」を得意客としている等、気になる話が多い。 https://t.co/0wbWDvFsyz
明治21年11月20日付『みやこ新聞』の記事「日曜日の景況」は市中の行楽模様の一つにこの浅草の鬼の見世物を取り上げた。ここでは「大江山酒呑童子の首と茨木童子の左の腕の骨」となっている。日曜限りの特価もあり大入りだったようだ。同時期の興行として大象の演芸や模造富士も見える。#湯本鈍器補遺
10月の紙面では季節物の菊人形と実写の顔を組み合わせた同じような合成写真広告が載っており、こうした戯画的な手法の広がりが面白い。美顔水の広告だけに紳士の名は「木目野細(きめのこまか)」、令嬢は「羽田艶子(はだつやこ)」と掛けているのも楽しい。大正元年10月8日付『都新聞』