大正7年8月2日付『都新聞』、幽霊が出るから借家の家賃を安くしていたという事例がこうして活字で確認できることに妙な感動を覚えた(笑) https://t.co/YHULmG6MRZ
奇人を見つけた。昭和2年11月14日付『河北新報』朝刊。決して奇行の類ではなく「日本の食糧問題解決の一端として」あらゆるものを試食してみせ講演するという啓蒙活動を行っていた熊谷政治なる男性を紹介する。それで「人糧道」と掲げたのか。明治44年10月11日以来、1600種余りの物を口にしたらしい。
明治の東京で筋肉芸を披露するニュージーランドの青年がいた!「怪力家エヴヰリン」24歳、肩まわりや背中の筋肉が尋常ではない。数々の筋肉パフォーマンスの中でも就中「身体全部の筋肉を音楽に合せて意の如くに働かす」という「筋肉操縦」が記者氏を驚かせている。明治43年12月12日・13日付『都新聞』
探して見つかる記事ではなく泣く(笑)大正7年7月7日付『都新聞』に日本のスワンボート史を埋める記事を見つけた。東京府立工芸学校でスワンと亀の舟を作り進水式を行ったとある。「これから各地の海水浴場では一種の玩具として歓迎されるであらう」とあり同校がどのような役割を果たしたか気になる。
御真影事情。昭和2年5月25日付『河北新報』夕刊。先帝の諒闇明けから新帝の御真影を大量複製し下賜するにあたり、宮内省が民間写真業者を使わず「省内写真館に全国総動員を行つて謹製する」方針なのが面白い。省内写真館がまず気になる。「先帝の御真影は宮中に奉還」というルールだったのも興味深い。
大正7年10月10日付『新愛知』市内附録、名古屋の大須にカバがやって来た。記事に興行師の記載はない。ソウルの動物園、大阪のルナパークで飼育された後、巡回興行に就いたようだ。「生きて居る!!」との惹句の裏に、当時は恐らく剥製で珍しい舶来動物を見せることも少なくなかったのだろうと推測する。
堺市博物館「仁徳天皇陵と近代の堺」展、古代から今に至るまで当地の人々にとって仁徳天皇陵は今この目の前にある存在であり、とりわけ近代になってどのように巨大な陵墓とともに暮らし、課題と向き合ってきたか。まさにこの地でしか見られない展覧会でとても面白かった! https://t.co/vAn4nQSEAZ
♪富〜士は日本一のや…まではなかった時代、昭和3年の尋常小学国語読本(3年生用)の写真を発掘した。「富士山は六番目だ」の欄外に、先生が持ち主だった生徒に語って聞かせたのだろうか、一番の新高山と六番の富士山の間の山々がメモしてある。