1930年(昭和5)1 月7日付『河北新報』夕刊より日本一美人投票。日本電報通信社が主催したミスコンで、全国の300新聞社が各府県の代表を推薦し読者投票を呼び掛ける形だったらしい。ここでは主催側で上位12名を絞り載せていた。300名の写真帖も出たようで(14日付朝刊)仙台では金港堂が発売していた。 
   明治43年8月4日付『神戸新聞』、「音なしい上品な、乗心地の快い」ゴム輪の人力車の登場により、旧来型の人力車は車も車夫も利用する客も肩身が狭くなった様子を戯画化している。 
   大正13年3月1日付『大阪時事新報』朝刊、神戸の動物商("日本最古の動物商人")中田和平が南米由来の干し首らしきものを所有し、巨額の動物取引の場で「間違ったら首を差上げます」と軽口のネタにしていたらしい(笑)その首を譲り受けたという豊橋の市会議員片山竹五郎も興行界隈の人物だったようだ。 
   こちらは昭和3年5月5日付『河北新報』夕刊の広告。氷削機のほか、菓子や飲料水の自販機も載っている。氷削機は「婦人でも小供でも楽に削れる」、自販機は「独りで金儲けをする機械」と清々しく効率性を謳う。「酒が出て肴が出る」新発売の清酒自動販売機も気になるところだ。どんな肴を想定したのか。 
   大正5年12月10日付『大阪毎日新聞』朝刊、公衆電話がかつて「自働電話」と呼ばれていたのは有名なところ、ここではその名前が体を表していないことに電話局が困り「公衆電話」とでも改称しようかと言っているとしている。「公衆電話」という改名案がこんな時期からあったのか。