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「その頃は、道場での決まりが明確で、先生と弟子は、同席したりしなかった。よその先生が訪ねてくると、すぐに高弟が出迎えて、刀を受け取って案内をした。先生達も、玄関まで迎えに出たものだよ。
この頃は物事が乱れて、誰もそんなことをしはしないが、いろいろな様子になるものだ。」
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「藤川近義先生の年回には、出席者が五百八十余人あったが、その時はおれが一本勝負源平の行司をした。赤石孚祐先生の年忌は団野でしたが、行司取締はおれだ。井上の先代伝兵衛先生の年忌にも、頼まれて勝負の見分はおれがした。男谷の稽古場開きでも、おれが取締行司だ。」
#はやおき訳
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「本当に修行したのは、剣術ばかりだ。全体、おれの家が剣術の家筋だから、おれの親父も、骨折つて修行させうと思つて、当時剣術の指南をして居た島田虎之助といふ人に就けた。」
#勝海舟
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「『それはよく分かったが、他の者にはよくよく口留めしておくんだな。もしも昨日の話が出たら、その時は世話人が嘘つきになる。そうなったら、片っ端から斬ってしまうつもりで来たからな』
と、念を押して行かせた。
間もなく、兵庫の家へ言ったら、兵庫が迎えに来た。」
享和二年(西暦1802)、男谷亀松は江戸本所に生まれました。後に勝小吉となる子供の最初のエピソードは、彼の頭に一生残ることになる古傷のゆえんです。
マンガ『夢酔独言』二話(1/4)
#漫画が読めるハッシュタグ
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「町中から五節句の度に、家主どもが金を持ってくるからよかった。
そのうえに、女郎屋で暴れる者があれば、ゴロツキを行かせて済ましてやった。ずいぶん治安がよくなったから、長屋一棟から二分ずつ、合わせて七両二分、盆暮の肴代にくれた。」
勝夢酔(小吉)38歳。摂州の知行村に滞在し、金談を続ける夢酔一行。村方に反発されて竹槍に取り囲まれたり、皮癬ができて温泉へ行ったりします。
マンガ『夢酔独言』百十四話(1/4)
#漫画が読めるハッシュタグ
テステス、要約漫画の2ページ目上半分が、おおむね埋まりました。
インクボタ落ちしまくってますが、サシ(定規)を使い慣れてないからです。
ケンカで相手にケガさせたら、頭をへこまされた亀松(小吉)。
#夢酔独言
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「道場の流儀やらの揉め事、弟子同士の口論、伝授の時の言い渡しなどは、主におれがした。団野での伝授をどうするか、皆おれに確認をとったものだ。おれの決定に背く者はいなかった。
大小刀の造りや服装、髪型まで、本所や下谷ではおれを真似していたが、妙なことをすると思っていたよ。」
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※フィクション演出です。
嘉永元年(西暦1848)、麟太郎は「ヅフ・ハルマ」を二部写本し終え、一部は売って、一部は教本にして蘭語塾を開きます。