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「とにかく早く勤めようと思って、あちこち稼いで歩いていたところだった。
男谷の親父が死んだ。」
(3/4)
「ある老人が、
『世間では、恩を怨みで返すものだが、お前さんは怨みを恩で返してみなされ』
と、教えてくれた。
その通りにしてみたら、家の揉め事も治まってきて、やかましい婆あ殿もだんだんおれによくしてくれるし、世間の人からも信用されるようになってきた。」
(2/4)
「やっと思い直して、あちこち物乞いして歩いたら、一日で米や麦や五升ばかりに、銭を百二、三十文もらえた。宿へ帰ると、亭主は親切な者で、その晩は泊めてくれた。」
#はやおき訳
(2/4)
男谷亀松は7歳の年、勝の家に養子入りします。
その時子供の髪型である芥子坊主(けしぼうず)を剃り落として、小普請支配や組頭との面談の際、17歳と自己申告しました。
(3/4)
「寒稽古の夜潰しをする日、師匠から許しが出て、出席者は各々食い物を持って来てよいことになり、おれも重箱に饅頭を入れて行った。夜の九つ頃、稽古を一休みして、皆が持参した物を食い始めた。おれも旨い物を食ってやろうと思っていたら、皆で集まって、おれを帯で天井に縛り上げた。」
(2/4)
「一緒に行ったら、小田原の城下の外れの横丁まで来た。漁師町に住む、喜平次という男だった。
おれを家へ入れて、女房や娘に、
『奉公に連れてきたから、かわいがってやれ』
と言った。二人ともあれこれ喋って、
『飯を食べなさい』
と言うから、食ってみたらきらず飯だ。」
#はやおき訳
(2/4)
「ワシの家のグルリなどは、みなバクチばかりして居たが、ヲヤジが嫌ひだつたせゐか、ワシは幼い時から、ごくキライだつた。」
#勝海舟
(3/4)
「おれも頭の息子が相手だから我慢をしていたが、いろいろ小馬鹿にしおるから、ある時木刀で、思い切り叩き散らし、悪態をついて、泣かしてやった。」