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「遠州掛川外れの、天宮大明神の神主で中村斎宮というのの息子が、国元から江戸へやって来た。石川瀬兵衛という剣術使いの弟子になりたがり、あちこちを訪ねていたから、おれが面倒を見ることにした。」
#はやおき訳
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「十二の年、兄貴の世話で学問を始めた。林大学頭の所へ連れて行かれて、それから聖堂の寄宿部屋の保木巳之吉と佐野郡左衛門という先生に就いて、『大学』を教えてもらった。
おれは学問は嫌いだから、毎日桜の馬場へ行って、馬に乗ってばかりいた。」
#はやおき訳
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「本所猿江に、摩利支天の神主で吉田兵庫という者があった。友達が大勢この弟子になって神道をして、おれにも弟子になれと言う。
おれは兵庫を訪ねて親しくなった。
兵庫が言うには、
『勝様は顔が広いから、私の社に、亥の日講というのをこしらえてくださいませ』
ということだった。」
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「毎晩、道具市に出るのを勤めだと思って精を出した。
売り物の手数料のつもりで、百文につき四文ずつ除けてみたが、三ヶ月の内に、三両二分の端銭が貯まったから、それで刀を拵えた。」
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「毎晩、江戸神田近辺や、本所の道具市へ出ては、刀剣道具を売って儲けたから、だんだん金も貯まってきた。
親しい者が困ったと聞くと、その度助けてやったから、皆が贔屓にして、おれにいろいろ刀を持って来た。素人から仕入れるから、いつも損をしたことはなかった。」
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「夜五つ頃まで、呼びに来るかと待っていたが、一向に知らせがないから、その番は吉原へ行って翌日帰った。
それから、
『ただで済ますわけにいかないから、兄上へ一筆書け』
と言われたが、それもしなかった。」
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「その代わりには、いつも市の終わりには、例え商人が五十人いたとしても、蕎麦一杯ずつでも、なるべく食わせて帰すようにした。町人は一文二文で一喜一憂するから、皆が喜んで、あちこちの市場に、おれが載る座布団を置いてあったものだよ。」
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「その後、初之丞殿は一橋家へ養子入りし、同家へ海舟先生を召し出すという御内命が出た。先生が家督を継いでからとのことで、夢酔君は隠居の願いを出したが、初之丞様殿は逝去され、先生が家督を継ぐのに間に合わなかった。」
(※『海舟伝稿』より意訳)
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「三、四人が喜三郎にすがりついて、
『少しの間、お待ちくださいませ。一同が一言、申し上げることがあります』
と言った。喜三郎が、
『早く言え』
と言ったら、
『先ほど仰せの儀には、恐れ入りました。我々の家財を売ってでも、金子は用意いたします』
と言いおる。」
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