(3/4)
「その晩、皆で打ち解けて話をしていると、村方の宇市、源右衛門という二人が願書を出してきた。見ると、孫一郎が証文を書いた借金が百五十両、この暮返す約束になっていた。
代官に言いつけて、
『返済を一年延ばせ』
と、次の間へ呼んだ二人に伝えた。」
(2/4)
「祭の日になったから、夕方、番場町の男谷家へ行った。兄弟も待っていて、
『よく来た。今、源兵衛が湯へ行ったから、帰ったら出掛けよう』
と、支度をしていたら、源兵衛が帰ってきた。
それからケンカの打ち合わせをしながら、八幡へ行った。」
#はやおき訳
(3/4)
「それから忠次に聞いて、団野道場(直心影流)に弟子入りした。先に弟子入りしていた先生からはやかましく言われたが、気にしなかった。
それから早く上手になろうと思って、他のことは何にも構わず、稽古にばかり精を出した。」
(2/4)
「翌年正月、番場へ遊びに行ったら、新太郎と忠次郎が庭で、剣術を使っていた。おれにも使えと言うから、忠次郎と使った。出合い頭にひどく胴を切られて、気が遠くなってしまった。
それから二、三度使ったが、一本もぶつことができぬから悔しかった。」
#はやおき訳
(2/4)
「その稽古場に、おれの頭(かしら)の石川右近将監の息子も来ていた。そやつはおれの禄高やらをよく知っているから、大勢の前で、
『手前の高はいくらだ。四十俵では小給者だ』
と言って笑いおるのが常だった。」
#はやおき訳
(3/4)
「養家の婆あ殿は、おれを毎日いじめなさったが、いまいましいから、おれも思いつく限りの悪態をついてやった。
それを親父が聞きつけて怒って、
『年端もゆかぬくせに、婆様に向かって己のような無礼を言うやつはいない。将来どうなることか』
と、脇差を抜いておれに打ちつけた。」
(2/4)
「ところがその頃、北海道の商人で渋田利右衛門といふ男もたび々々この店へ来るので、嘉七からおれの談を聞いて、『それは感心なお方だ。自分も書物を大変に好きだが、ともかくも一度会つて見よう』といふので、ついに嘉七の店で会つた。」
#勝海舟
(2/4)
「ワシの家のグルリなどは、みなバクチばかりして居たが、ヲヤジが嫌ひだつたせゐか、ワシは幼い時から、ごくキライだつた。」 #勝海舟
(2/4)
「刀剣講という集まりを立ち上げた。相弟子や親しい人に相談して、氷心子秀世、細川主税正義、美濃部大慶直胤、神田の道賀、梅山弥曾八、小林真平ら刀工や、当時の刀鑑から金を集めた。」
テステス、要約漫画5ページ目が、おおむね埋まりました。
まだ『夢酔独言』を書いてないのに切腹しようとする夢酔(勝小吉)。