F先生の初期作品の一つ『すすめロボケット』からも似た趣向のコマを抜き出しました。ここでも、かわいい女の子の巨大感を描くことに熱が注がれています。前掲の『宇宙小戦争』や『とびだせミクロ』の事例と違うのは、こちらは、相対的に巨大に見えるのではなく、本当に巨大な女の子だということです。 
   『のび太と銀河超特急』に出てくる“ぺたり手ぶくろとくつ”[画像①②]は1970年発表の『ドラえもん』初期エピソード「ペタリぐつとペタリ手ぶくろ」[画像③]で初登場してから25年ぶりの再登場でした。この道具に似たものが手塚治虫先生の初期作品『来るべき世界』(1951年)で見られます[画像④]。 
   これは「小学二年生」1977年7月号の別冊ふろくです。『ドラえもん』の「チクタクボンワッペン」が再録されているのですが、扉ページのサブタイトルも、作中でドラえもんが言うひみつ道具名も、「チクタクボタンワッペン」と表記されています。 
   >RT
F先生の『パーマン』に「仙珍居」として登場した台湾料理店「山珍居」は、Ⓐ先生の『PARマンの情熱的な日々』ではイージー会の食事会をやったお店として紹介されています。イージー会のメンバーの豪華さに改めて感銘を受けています。 
   浦沢直樹先生の手塚語りで興味深かった発言
手塚先生の中には生々しい情念的な“根性”というものはなくスポ根を描けなかったが『火の鳥』黎明編の崖をよじのぼる男とか、鳳凰編の両腕をなくしたのに彫刻刀を口にくわえて彫る男などは、手塚先生の根性ものに対する一つのアンサーだったのではないか。 
   手塚治虫先生のライオンブックスには1956〜57年「おもしろブック」の別冊付録で発表されたシリーズと1971〜73年「週刊少年ジャンプ」で発表されたシリーズの2種があり、「安達が原」は後者のシリーズの第1弾でした。
「安達が原」初出時は、そういう経緯を手塚先生が語るシーンから始まっています。  https://t.co/3a1MJ2Onno
   高岡の街を歩いていて「鍋島ビル」を見かけました。
鍋島!
藤子不二雄Ⓐ先生の伯父で富山新聞社の社長だったのが鍋島弘蔵氏でしたよね。(鍋島ビルと鍋島弘蔵氏が関係あるのかわかりませんが) 
鍋島弘蔵氏は『まんが道』に鍋河大策という名で登場します。
#高岡 
   『ドラえもん』にはスーパー手ぶくろ、モグラ手ぶくろ、かるがる手袋、タッチ手ぶくろ、技術手袋、猛獣ならし手ぶくろ、ぺたり手ぶくろなど手袋型ひみつ道具が多彩に出てきます。体の部位を付け替えられるつけかえ手ぶくろとか女の子に応援されて必勝できるチアガール手ぶくろとか妙に好き。#手袋の日 
   藤子不二雄Ⓐ先生の『魔太郎がくる!!』「犬の飼い方教えます」に紀州犬が登場します。この紀州犬は藤子・F・不二雄先生が飼っていた紀州犬・ピー子がモデルになってるんでしょうね。「犬の飼い方教えます」は1975年に発表されていて、藤子F先生がピー子を飼ってる時期と重なっていそうですから。  https://t.co/6VcKCMm27f
   私の中の2大“罰としておびただしい数の昆虫がいる閉鎖空間に入れられた男”!
まだらバチの穴ぐらに入れられた猿田彦(手塚治虫『火の鳥 黎明編』)と、セミ風呂に入れられた吉村二等兵(藤子不二雄Ⓐ『黒ベエ しごく者しごかれる者』)です。