”先生のところで稽古をした帰りには、毎日判で押したようにその頃本郷座のならびにあった三銭洋食へと、飛びこんだ。何でも三銭、馬蹄型のスタンドがあって、酒も三銭なら、カツもテキも三銭だ。”
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この福神漬=チャツネ代用説というデマの出処は二ケ所あります。一つは、日本郵船の広報。
小菅桂子さんは「カレーライスの誕生」で日本郵船を取材します。
”かつて日本郵船の広報室に問い合わせたところ、確かにきっかけは日本郵船の一等食堂である、との答えを得たことがある。”
「一品料理」とは、洋服と同じように日本化した洋食の品々、すなわちソースをドボドボかけてご飯と一緒に食べるカツレツなどを意味していました。そしてお好み焼きはカツレツなどの”一品料理の眞似事”として生まれました。
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福神漬=チャツネ代用説というデマのもう一つの出どころは、TV番組「謎学の旅」です。もっとも、番組がデマを流したわけではありません。
番組では昭和初期に外国航路の船でコックをしていた丸山久義さんが登場します。
”丸山さんは、福神漬をつけた理由についても興味深い推理をしてくれた。 ”
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新しく「開発」した麺料理には、中国人留学生の客が「柳麺」という名前をつけました。
偶然にも横浜中華街や東京の支那そば=柳麺と全く同じです。不思議な事もあるものです。
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そんな馬鹿な話はないので、小菅桂子は一連の話を初代のおかみさんのつくり話、つまり嘘と断定します。
小菅の推測では、孫に自慢したいがために、初代のおかみさんは「ラーメン」という名前を自分が発明した、という嘘の話を作ったのではないかということです。
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小説家阪田寛夫は、評伝「わが小林一三―清く正しく美しく」において、次のように書いています。
”阪急百貨店で、五銭の「ソースライス」あるいは「福神漬ライス」が、二十銭のライスカレーと共に有名になった。”
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昭和初期、銀座から有楽町にかけての電車通り沿いには、小さな飲食店が並んでいました。昭和8年の大東京うまいもの食べ歩き(白木正光)によると、そこには「らうめんが賣物の」雪正軒と「同じく支那そば洋食」の長谷川がありました。
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ちなみに明治43年に開店した浅草来々軒のラーメンは「そばの上に載る具はシンプルなもんでしたよ。焼豚にシナチク、あとは刻み葱だけ」。
なぜか芳蘭で新しく「開発」した麺料理と全く同じです。不思議な事もあるものです。