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二代目の証言では、ラーメンと命名したのは横浜から来た広東人コックらが作った「柳麺」に対してでした。
一方「これが札幌ラーメンだ」では、山東省出身の王文彩が作る肉絲麺(ユーシミェン)に対し、ラーメン(拉麺)という名前がつけられます。
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札幌でラーメンの名前を定着させたのは、「これが札幌ラーメンだ」によると昭和9年にオープンしたグランドホテルでした。
そこで出されていたラーメンは、竹家食堂の肉絲麺とは全く別のものでした。
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ラーメンの名前を定着させたグランドホテルのラーメンは、ネギ、メンマ、チャーシュー、ナルトが入ったラーメン。
つまり、横浜あるいは東京からきた、支那そば=柳麺(ラーメン)だったのです。
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明治屋の社史、明治屋七十三年史、明治屋百年史においても、明治33年の「日の出ソース」国産ウスターソースの元祖であると記載されています。画像は明治屋百年史です。
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その明治18年に、阪神ソースの創設者安井敬七郎は東京の丸善に入社し、インクや洋酒などを製造する丸善の製造部門、工作部を立ち上げました。画像は丸善百年史P273です。
ヒロオカさんが言及されていますが、上海にもウスターソース文化があるそうです。そして、昭和初期の日本には上海から料理人が流れ込み、7,8割が上海の料理人だったと雑誌食道楽昭和三年九月号にあります。香港説に加え、上海説もあるかも?です
大正10年発行の「支那風俗上巻」(井上紅梅著)に、当時の上海料理の解説が載っているのを見つけました。焼きそばに関係する部分を抜き出します。
「最暗黒之東京」において車夫の食物として挙げられているもう一つの内臓食が焼鳥です。焼鳥とは「鳥の臓物」の蒲焼のことをいいます。