これは俵型のじゃがいもコロッケ。コロッケの質感がすばらしく、実に美味しそうに見えます。新聞紙というのも、時代をしっかりとらえています。以前書きましたが、大正時代のお好み焼きの「容器」も新聞紙でした。
http://twilog.org/ksk18681912/date-180215 …
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
明治23年の風俗画報には、”鶏の骨を丸くして焼いたるを賣る”浅草の露店の存在が書かれていますが、この鶏の骨のたたきが、後に焼鳥へと組み込まれることとなります。
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
昭和初期、銀座から有楽町にかけての電車通り沿いには、小さな飲食店が並んでいました。昭和8年の大東京うまいもの食べ歩き(白木正光)によると、そこには「らうめんが賣物の」雪正軒と「同じく支那そば洋食」の長谷川がありました。
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
”ラーメンイイコ、ラーメンリャンコと客の注文を調理場に通す端番の店員の独特の節まわしが客席を飛び交い、たいへんな繁盛であったという。”
来々軒における注文も、横浜中華街で長谷川伸が通した注文、「イイコラウメン」と同じでした。
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
画像は作家の一瀬直行がエッセイ「懐かしの浅草」で回想した、震災後から昭和のはじめの浅草の大衆食堂の価格。やはり、チキンやハムが高級であったことがわかります。
大正7年のお好み焼き屋の親父は、”「これでちやんと胡麻の油が使つてあるんですからね」”としたり顔。この記事は「お好み焼きの戦前史」の無料サンプルをダウンロードすると読めます。無料サンプルだけでも楽しめますので是非!(セールストーク) http://goo.gl/6gKGcx
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
木下謙次郎が著した「美味求真」によると、戦前の高級料理店における卓上の調味料は、以下のようなものでした。
西洋料理 塩、酢、ソース、からしなど。
日本料理 調味料は置かない。料理はすでに味付けされている。
支那料理 醤油のみ各自の前に置かれる。
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
『さうピクくせずに、胆勝を据ゑてナイフを御取りなさい』
『丸で血闘でもするやうだ』
『思ひ切って其ビフテキへ突ッ通して御覧、もつとナイフを立てなけれア切れやアしない。』
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
”いずれにせよ、少なくとも三〇年代初頭(昭和初期)の時点には、あえて屋台の味覚を愛好するジャーナリスト的な《食通》のまなざしが確立していたことになる。”