大山のぶ代さんがドラえもんの声を担当したのは1979年から。この年に生まれた私にとって、のぶ代ボイスは「のび太にとってのおばあちゃん」みたいなものだった気がします。いや、そのまま「のび太にとってのドラえもん」と言えば良いですね。ご冥福をお祈りします。
Netflixで『PLUTO』全8話を観た。『鉄人28号』をオマージュした『AKIRA』に似て、『鉄腕アトム』をオマージュした本作は、物語のスケールが大きかった。
浦沢直樹のマンガ、私はYAWARA!』が好きだったものの、『MONSTER』のようなシリアス系に関して、
母は解離性同一性障害を患っていてカルト宗教信者だった、父は統合失調症を病んで餓死したと設定されていて、主人公にも遺伝的/遺産的にその困難が訪れる。
基本的におもしろく観たものの、「世間では発狂とかカルト信仰とかいうのが非常に怖い要素なんだな」という冷めた感慨もある。現在の私は
ブライアン・デ・パルマ監督『キャリー』(1976年)を観た。名作! スティーヴン・キング原作。同監督の様式美を長年熱愛してきたのだが、本作は怖そうなので避けてしまっていた。なによりも狂信的な(性に関する潔癖主義の)母親が怖すぎるし嫌すぎる。「イヤボーンの法則』(『サルまん』)の起源。
主人公の母親、狂気の描き方が「昔ながらのベタな狂人」なわけだが(主人公が遺伝を恐れており、統合失調症が念頭に置かれていると思われる。実際には精神疾患はそうでなくても遺伝しやすいけど)、表現の自主規制によって狂気が描かれにくくなった現在は、べつの意味で問題があるのだろうか?
「性能」という字をじっと見ていると、一種のゲシュタルト崩壊が起こって、セクシュアルな意味の単語のような錯覚がしてくる。【用例】「モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差ではないということを教えてやる!」(シャア・アズナブル)「貴様が勝ったのではない。そのモビルスーツの性能の